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サイゼリヤが最強な理由

サイゼリヤが何故最強なのか?を僕なりの視点と考えで今回は熱く書いていこうと思うので読者の皆さんはそれなりの熱い気持ちを持って読んでいただけると幸いです。

いわゆる「ファミレス」と呼ばれる業態の中でサイゼリヤが長年人気な理由としては「イタリアっぽい料理をリーズナブルにいただける」からだろう。
他にも色々な理由はあると思うが過半数がこの理由という風に仮説立てて書いていく。
そしてこのイタリアっぽいがかなり重要なキーワードになる。


イタリアっぽい料理

何故イタリアっぽいのか?
サイゼリヤを利用するほとんどの人達はイタリアに住んだことがなければ行ったこともないはず。
そんな本場のイタリア料理や料理文化を分かっていない人達もサイゼリヤの料理をイタリアンだと無意識に思っている。何故ならサイゼリヤに行くとイタリアンを食べるからだ。「パスタがあってピザがあって…だからイタリアンだよね」といった感じだろうか。
でも一方で心のどこかでは「ファミレスだから…」とか「高級イタリアンレストランに比べると…」と、誤解を招くかも言い方かもしれないが妥協している人もたくさんいると思う。
だからイタリアンっぽい料理なのだ。
だから決して「イタリアン食べに行こう!」とはならない。「サイゼ行こう!」となるのだ。それは日本人のイタリアンのイメージが高級おしゃれな店内最高級のワインと潜在的に思っているからなのだ。
その潜在的イメージのため俗に言うイタリア好き様やイタリアかぶれ様には許せない飲食業態なのだ。
イタリアに住む前の僕もその一人だった。「サイゼなんか行くかよ、あんなんイタリアンちゃうやん」
だがそこがファミレス業態日本人の先入観の間に仕掛けられた罠なのだ。


罠とは?

このサイゼリヤに仕掛けられた罠なのだが一体どのようにして暴くことが出来るのだろうか?
その前にこの僕が言っているというものをもっと噛み砕いて説明したいと思う。

先述にもあったとおりこの「罠」とはファミレス業態日本人の先入観のことを示している。
イタリアンは高級おしゃれな店内最高級のワインという日本人の潜在意識から「ファミレスレベルをイタリアンとは到底呼ぶことなんてできない」という考えがここで言う「罠」なのだ。
そして今日もイタリア好き様やイタリアかぶれ様方はその罠に気付かず、高級イタリアレストランのブランド力に巧みに誘導され続けていることに気付かず貢献し続けている。
ここで一旦誤解を招く前に言いたいのは高級イタリアレストランが悪いと言っている訳ではない。
おしゃれな雰囲気でグラスや食器も洗礼されていて、全てがインスタ映えするようなそんな空間を間違えても悪いとは言えない。
あくまでも「罠に掛かっている」という表現をさせてもらっているのには理由がある。
それがわかるとサイゼリヤが最強に見えてくる。

本題である「罠をどのようにして暴くか?」なのだが方法は2つある。
まずはイタリアに住む事。来るだけではいけない。あくまでも住まなければ
いけない。そしてもう1つが日本人的先入観、イタリアンに対しての偏見を捨て、サイゼリヤをただ心から「美味しいイタリアンをリーズナブルにいただけるレストランである」と思う事。
前者と後者では後の捉え方が全く変わってくるのだがまぁそこはいいとして僕はこの前者である。
今では心底サイゼリヤを心から最強だと思っているし、日本に帰国してイタリアンが食べたくなると迷いなくサイゼリヤに駆け込む。
理由は簡単でサイゼリヤに行くとまるでイタリアに帰ってきたような感覚を味わえるからである。ここで言うイタリアに帰ってきたような感覚はサービスのことや店内の雰囲気ではなく食べ物のクオリティーだけを指している。


口が恋しくて…

事の発端は僕がイタリアに住んで3年ほど経過し、日本に一時帰国した時のことだ。
ずっと食べたかった日本食にも慣れが出てきて漠然と「イタリアン恋しいかも」と思っていた時にたまたまサイゼリヤが近くにあり、安いし行ってみるかというノリ
で訪れた。確かあの時はセロリの前菜とプロシュットクルード(生ハム)とペンネアラビアータを食べた。
一言でいうと感動した。
イタリアで食べるそのままの味だった。
パスタに関してはオリーブオイルを追加でかけて目を瞑って食べるとイタリアの歴史あるトラットリアで出てくるパスタを食べているようなそのクオリティーだった。

そしてお会計。

「1000円いかんの!?」

控えめに言って最強だと当時からサイゼリヤのイメージが180度変わった。


イタリアに住んで8年経った今

イタリアを知るだけではなくイタリアの文化も知ってきた今サイゼリヤは僕にとって神的な存在だ。
日本に帰国すると食事は日本食が基本なのだがすぐにイタリアンが恋しくなる。
そんな時は迷わずサイゼリヤに駆け込む。
もちろん日本人がイタリアをイメージして考案した料理がまたそれとして違う部類になる。王道はサイゼリヤの看板商品「ミラノ風ドリア」。
ドリアなんてものはイタリアに存在しないし一度僕の彼女に説明をした時に「ありえない」の一言で済まされたように日本を全く知らないイタリア人がそれらの料理を「イタリアンだ」と謳っていることを認めてくれることはまずないが、ミラノ風ドリアはミラノ風ドリアでとてつもなく美味しい。
でもサイゼリヤの本領が発揮されるのはあくまでもイタリアでも食べることが出来る商品のクオリティーだ。
最近は日本に帰れておらずサイゼリヤにも行けていないのでメニューがどうなっているのかはわからないがそれでもわかる。サイゼリヤはハンパじゃない。日本だから実現できるクオリティーとシステム。
イタリア暮らしが長くなればなるほど帰国時のサイゼリヤが信仰化していく。

本当にそのレベルだ。


サイゼリヤのクオリティ

案件でもないのにここまでサイゼリヤを褒め散らかしたが本当にすごい企業だ。
店内で流れている音楽もイタリアの音楽だし、ワインも1杯100円なんて意味がわからない。

数少ない欠点を挙げるとするならパスタの茹で加減。
アルデンテじゃない。柔らかすぎる。
もちろん作り手にもよるのだろうがあと2分は早くあげた方がいい。

あと個人的に濃厚なエスプレッソが200〜300円で飲めればもう言うことがない。

何度もくどいがあえて「控え目」に言う。

サイゼリヤは最強だ。

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