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美しくも面倒くさい日本語

日本語には外国語に直訳できない言葉が多々あります。

イタリア語でも同じです。

例えば「粋」などが良い例ではないでしょうか?



なんて美しい言葉はイタリア語で翻訳しきれないのです。



言葉の意味が深く、それぞれが思うそれぞれの粋な情景が見えてくる言葉なんです。




知らんけど。







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板坂元さんの「ちょっと小粋な話」






なんですか「ちょっと小粋」って?


小粋じゃなくて「ちょっと」小粋ってなんですか?




それでまた、ちょっとだけ小粋なのがよかったりするんです。






というようにこっちで生活をしていると多々こういった事に直面します。
その度に日本語の難しさというか、奥深さというか、美しさに感動するのですが




一方のイタリア人は回りくどくて面倒くさいと考え、
なんなら言葉なんかに美を感じない人種なのです。

でも「感じない」というと角が立つので「求めない」と表現を変えましょう。









ここなんです。




「感じない」でいいんです。

でも「求めない」の表現を好むんです。




日本人は相手を傷つけないために言葉を選べる人種なのです。


僕的にはどの人種よりも言葉の表現力や奥ゆかしさは群を抜いて素晴らしいと思います。


表現を柔らかく包んで相手に気付いてもらう。

恐らく日本人にはこういった潜在的美学があるのでしょう。



ですが一方のイタリア人から言わせてみれば

はっきりとものを言えない人種。
意味がわからない表現でイライラする。



まぁそもそも「言葉の美しさ」というところから何が言いたいのか意味がわからない人種なんですが…



とにかく茂野吾郎よりも直球に拘るのです。


というか面倒くさいんです。




例えば先日彼女が友達との関係でイライラしていた際の一コマです。


僕 : 「相手より少しだけ大人になって相手の立場から考えてみてもいいんじゃない?」

彼女 : 「何言ってんの?私が子供だっていうの?」

僕 : 「そうじゃなくてダイレクトに言い過ぎなんだよきっと。」

彼女 : 「じゃあ何て言うのよ。ダイレクトに言わずに相手に悟らせろって?冗談じゃないわ。私、超能力者じゃないのよ!」

僕 : (ヤバい…矛先が変わってる)

彼女 : 「もしかしてあなたも向こうの味方なの?」

僕 : 「違うよ。でもまぁ君が思うように言ってみればいいんじゃない?汗」

彼女 : 「よくわからないけどまぁいいわ」





翌日2人ともケロッと仲直りしていました。










イタリアで生活していると相手の気持ちを汲み取ってこのニュアンスで伝えようというように論理的思考で話をする手間が省けていいんです。



でも彼女にはいつか日本文化のこういったところも理解してもらえるのかなと密かに信じたりしているのですが、特に期待もしていないのです。

だって彼女はイタリア人なんですもの。

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