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没後190年 木米:5 /サントリー美術館

承前

 《染付龍濤文提重》(東京国立博物館 重文)には、次のようなポイントがみられた。

・異なる素材のものを、やきもので立体的に再現
・中国陶磁など先行する作例から、技法やモチーフを引用してアレンジ

 こういった手法は、なにも木米だけの専売特許ではない。とくにこの頃の京焼においては、広くみられる傾向といえよう。
 たとえば木米の師・奥田穎川は、中国・明末のうつわ・呉洲赤絵の翻案を得意とした。
 本展にも出ていた《色絵飛鳳文隅切膳》(東京国立博物館 重美)では、呉洲赤絵ふうの上絵を、木製のお膳のかたちを模した器体に施している。

 この作からも察せられるように、木米は、ある意味ではけっして特異な存在ではなく、時代や環境、系譜からすれば、生まれるべくして生まれた性格の作家であった。
 会場では、木米の多様にして華麗な陶磁世界を冒頭からひとしきり見せたのに続いて、穎川や同門の仁阿弥道八、歳の近い尾形周平など、木米の周辺を彩る同時代の京の陶工の作を一挙に並べることで、木米登場の必然性がさらに明確とされていたのだった。
 そして、いずれ劣らぬ名手のなかでも、木米の技巧や感覚の鋭さ、手広さには頭ひとつ抜けたところがありそうだということもまた、視覚的に浮き彫りとなった。

 彼らが手がけたうつわには、煎茶の道具が多い。
 本展では煎茶具中心の周辺作家の章に続いて、木米の煎茶具の章が設けられており、炉・急須・煎茶碗の展示が階段下のスペースまでずっと続いていった。
 構成として非常にきれいだったと同時に、当時の京における煎茶の流行ぶり、煎茶具の需要の高さ、そしてその中心に木米たちがいたのだということが、よく理解できた。

 木米の煎茶具は、現在でもそれなりの点数が伝わっている。そして、贋作が非常に多い。
 これは「木米作」がある種のブランドと認識され、求める人がたくさんいたことを意味しているが、その背景にはこれまでみてきたような造形的な魅力のみならず、煎茶具として「使いやすい」「使って、心地よい」ということも大いにあったのではないだろうか。
 木米作の南蛮の急須を、一度だけ手にとらせてもらったことがある。ちょうど上の参考写真で炉の上に乗っているタイプのもので、紙と見紛うほどの薄造り。かなり軽い。気を抜いたら壊してしまいそうだった。
 しかし、これに熱湯が入ったとき、焼き締めた土の肌が、手に吸いつくように馴染むのだろうなとも思われた。それこそ、手で茶をすくって、そのまま碗に注ぐような錯覚を得るのではないか。「使いやすい」とは少し違うが、「使って、心地よい」ものだろうとは、強く感じたのだった。
 「用の美」の観点から、木米や周辺作家の煎茶具を掘り下げてみるのも有益なのではと思われる。(つづく



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