広重 -摺の極-:4 /あべのハルカス美術館
(承前)
《江戸近郊八景》より《玉川秋月》。
叙情と品格を同時に感じさせる名品だ。
月の配置には、独特なセンスがうかがえる。その月は銀で摺り分けられ、鈍く輝く。銀の輝きに画面を支配されてしまわないあたりが、広重の巧さといえよう。
※場所は丸子の渡しで、田園調布から対岸の川崎を見た構図。現在は川をまたいで、東急東横線が通っている……などというと、せっかくの叙情も台無しか。
このあと、40代の広重はマンネリズムに陥ってしまう。
わたしの口がわるいわけではなく、章解説には「マンネリ」と、ほんとうにそのまんま書かれていたのだ。
どのあたりの作品を指しているのかなと気になりつつ展示を観ていったところ、上の《江戸近郊八景》が過ぎたあたりから「あー、これかな……」と勘づくのであった。
しかし、広重はまだまだ終わらない。
ここから、怒濤のラッシュをみせる。
第4章では、弘化年間から没する安政5年まで(1844~58)を扱う。題して「竪型(たてがた)名所絵の時代」。
北斎の《冨嶽三十六景》に対抗して企画された《東海道》《不二三十六景》こそまだ横位置の図であるが、《六十余州名所図会》では「竪型」、つまり縦構図を存分に活かして、これまでになかったダイナミックな画面を生み出すことに成功している。
《六十余州名所図会》の《対馬 海岸夕晴》(安政3年〈1856〉 ジョルジュ ・レスコヴィッチ氏蔵)。思わず、わぁと声をあげてしまった。
※参考:メトロポリタン美術館所蔵の《対馬 海岸夕晴》。
むろん、絵師・広重だけでなく、摺師の高い技術があってこその、この壮大さであろう。同シリーズは海や川を広範に描く作がほとんどで、青空まで合わせると、ブルーの占める割合はかなりのもの。摺りの腕が存分に発揮されているし、ここにきて「広重ブルー」は満開の感がある。
《六十余州名所図会》では、諸国の名所、とりわけ奇勝・珍景というべき眺めがモチーフに選ばれている。
ものめずらしく、「奇」であるように、いかにして描くか。そう考えたとき、縦構図は強力な打開策になったことだろう。
そしてもうひとつの武器が、トリミングだった。今回の出品作ではないが、たとえば日本三景の「天の橋立」を、広重はこう切り取る。
「そう来たか」と思わせると同時に、天の橋立を描いたものであることが観る者にすぐにわかってしまうような切り取り方となっている。
また、その角度・高度は、山上から見るいわゆる「股のぞき」とも異なっており、まさに「鳥の目」。
竪型名所絵、トリミングの妙、鳥の目……《六十余州名所図会》までに整った要素を重要なエッセンスとして誕生したのが、わたしもだいすきな大傑作《名所江戸百景》(通称「江戸百」)である。
「江戸百」からは前期で10点、後期で12点を陳列。後期の2点とは、いずれも本シリーズ中で最も名高い《大はしあたけの夕立》(安政4年〈1857〉 ジョルジュ ・レスコヴィッチ氏蔵/個人蔵)である。以下は、個人蔵の《大はしあたけの夕立》。
2点もまた、例によって「ヴァージョン違い」。いくつか手が加えられている。
だがこれは、絵師のあずかり知らぬ勝手な改変ではなく、ほとんど間をおかずに制作された、絵師の関与による創造的な改良、いわば微調整だ。リーフレットの中面に2つ並んで載っているので、比較してみてほしい。
最も異なるのは、俗称にもなっている「舟二艘」。右端・対岸にみえる舟二艘の影が、レスコヴィッチ氏蔵のほうにはない。また、同じ対岸の左端で土蔵の漆喰が白くみえるが、これも潰されている。他にも雨の描写やぼかしなどを変更してできたレスコヴィッチ氏蔵の作のほうが、視線を橋に集中でき、よりよい絵だと感じられる。
後期の「江戸百」出品作品は、他にも《亀戸天神境内》《両国花火》《浅草田甫酉の町詣》など名作ぞろい。いや、眼福。
猫好きにとってはおなじみの《浅草田甫酉の町詣》(安政4年〈1857〉)もまた、出品作は極上の摺りだった。
そのことを端的に示すのは、猫の身体の一部に、うっすらとぼかしが入っていること。作品解説いわく「上摺(じょうずり)ならでは」。
※参考:東京国立博物館の《浅草田甫酉の町詣》。ぼかしがない。
本展出品の「上摺」をご紹介すべく、絵はがきでも購入しておけばよかったのだが、ここでは別のグッズを例に出したい。ピンバッジとその台紙である。
どうだろうか。頭や後ろ脚に、うっすらとぼかしが見えるのではないかと思う。
このぼかしが確認できることを確かめたうえで、ピンバッジをレジへ持っていくに至ったのであった。本展を象徴するようなグッズともいえよう。(つづく)
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