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広重 -摺の極-:3 /あべのハルカス美術館

承前

 広重といえばまず第一に風景画、また花鳥画にも名品が多い。どちらも30歳代に入ってから手を染めた分野で、これが大当たり。絵師としての方向性が定まった。
 本展の第2章は、風景画初期のシリーズ《東都名所》にはじまる。描写にはまだこなれないところがあるけれど、ブルーの美しさは当初からのものであった。江戸の絵を大阪で観るのは、なんだかふしぎな気分。

 30代中盤には《東海道五拾三次》が大ヒット。これがお目当てという人は多いだろう。前・後期それぞれ10点ずつ、極上の摺りが並んでいる。またまた余談だが、東海道線の各駅停車を乗り継いでここまでやって来たため、こちらは個人的にしっくりきた。
 《東海道五拾三次之内  箱根》(天保4~6年〈1833~35〉頃  ジョルジュ ・レスコヴィッチ氏蔵)。

 近景の山、遠景の芦ノ湖の湖水ともに、実景にもとづいた異なる典拠の図像を組み合わせている旨が、作品解説に詳しく記されていた。
 たいへん鮮やかな色合い。同じ作品の他の摺りを何度も観ているけれど、「こんなに明るかったっけ?」と思ってしまったくらいだ。
 岩山の塗り分け(摺り分け)をみると、地図の「四色問題」を思い出す。限られた色数で、同じ色どうしが隣り合わないように配置するにはどうすればよいか……広重も、このあたりの色指定には、ずいぶんと頭を悩ませたのではなかろうか。

 雪の夜を描いた《蒲原》とともに、シリーズ中の最高傑作との呼び声高い《庄野》(天保4~6年〈1833~35〉頃  ジョルジュ ・レスコヴィッチ氏蔵)。

 詩情、旅情、余情……複雑にして繊細な天候の描写、それに翻弄されつつ抗う人びとの動きが、さまざまな「情」をもって、画面に封じ込められている。
 風雨の一様ではない摺り分け、濃淡の調子は、まさに超絶技巧。遠景の木々には、バレンの摺り跡が生々しく残る。摺師の技や手跡を確かめ・味わうには、これほど適した作はない。

 《東海道五拾三次》のヒット後、広重はさらに旺盛に、名所絵の揃い物を世に出していった。本展では天保期の揃い物7種を、前・後期それぞれに振り分けて展示。
 こう書くと少しわかりづらいが、たとえば《近江八景》全8点は後期にまとめて登場し、同じシリーズが前・後期に分割されることはない。
 《近江八景之内  石山秋月》(天保6年〈1835〉頃)は、レスコヴィッチ・コレクションと中外産業株式会社・原安三郎コレクションから1点ずつ出品。両者は同じ版木を使っているものの、摺り色やぼかし、濃淡のつけ方などが異なるヴァージョン違いで、全体的な印象はまったく異なる。そして、甲乙つけがたい。
 同様のヴァージョン違いは、他にも数組が展示されていた。

 《近江八景》に続いて《浪花名所図会》全10点(山口県立萩美術館・浦上記念館)。いま、まさにいるこの場所・ご当地の大阪(大坂)を描くシリーズであり、さらにしっくりくる感覚があった。隣で観ていた関西弁のご夫婦も、よく知る土地ばかり出てきたようで、興奮のご様子。
 どの図も人口密度が高く、なにわの商人(あきんど)たちが、かまびすしくやりあうさまが活写されている。名所絵の感はほぼないが、こういったコメディタッチの群像を描かせても広重は一流だ。

 ※参考:中山道広重美術館所蔵の《浪花名所図会  雑喉場(ざこば)魚市の図》(天保5~6年〈1834~35〉頃)

 《東海道五拾三次》の添景には、《御油》の客引き女だとか、《四日市》の風に飛ばされた笠を追いかける男などのおもしろキャラがいるが、その種の人物が画面全体に増殖したかのような、にぎやかな絵である。

 続く第3章「名所絵の円熟」では《木曽海道六拾九次》が白眉。「木曽路はすべて山の中」とはよくいったもので、浪花の賑々しさとは打って変わったうら寂しさ、幽玄すら感じさせる絵が多い。この章の1部屋に限り撮影が可能で、みな、ばしばし撮影していた。わたしも、数枚を選んでシャッターを押した。
 《宮ノ越》の図。「幽玄」と言い表したくなる気持ちが、ご理解いただけるかと思う。シルエットだけを残し、闇に融けていく背景。摺り分けの微妙さが光る。

《木曽海道六拾九次之内  宮ノ越》(天保7~8年〈1836~37〉 ジョルジュ ・レスコヴィッチ氏蔵)

 《長久保》の図もまた、夜の景。まんまるの月にあえて松をかぶせることで、月という存在の絶対性や象徴性を殺いでいるように思われる。ゆっくりと時間が流れる、街道の一コマである。(つづく

《木曽海道六拾九次之内  長久保》(天保7~8年〈1836~37〉 ジョルジュ ・レスコヴィッチ氏蔵)
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