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聖徳太子と法隆寺:2 /東京国立博物館

承前

 今回の法隆寺展の目玉は、なんといっても金堂の《薬師如来像》。
 《四天王像》と同じく、通常は薄暗い金堂で金網越しにしか観られず、門外不出だったお薬師さんを至近距離で観察することができた。指先までくっきりで、縵網相もはっきり視認可能。爪がこんなに伸びていようとは思わなかった。緑青の色みと質感、衣文や光背の流麗な曲線、そして穏やかなお顔は、観ていて飽きることがない。

 そんな《薬師如来像》よりも、《六観音》よりもさらにぐっときたお像が、展示のいちばん最後にあった《阿弥陀三尊像(伝橘夫人念持仏)》。このお像にも幾度となく対面してきたが、今回はお厨子から出されて、より見やすい環境のもとで鑑賞できた。
 三尊のうっすらとした笑みや随所に認められるたおやかな曲線美を観ていると、心底、安らかな気持ちになれる。厨子を含めた全体が阿弥陀浄土を表した小宇宙になっているが、小ぶりな三尊がおとなしく収まっている写真を見ると〝阿弥陀三尊のおうち〟とでも言いたくなるようなミニチュア感がある。そういった点に象徴されるように、この三尊、とびきりチャーミングなのだ。
 蓮池の意匠が刻まれた床から、蓮の根がうねうねと立ち上がり、蓮の花がぽんと咲く。花はそのまま蓮華座となり、三尊が座す。にこやかな脇待のおなかはぽっこり。腰のひねりは、蓮の根のくねりと重なる。サザエさんのオープニングで踊るタマを思い出す。いいなぁ。
 三尊の背部を囲む「後屏」と呼ばれる部分が、やはり圧巻。菩薩の天衣や蓮の根が描くカーブは、曲線美の極致と思う。お香を焚いたときの煙がくゆるさまによく似ており、これを造形化したものかもしれない。煙の不規則な動きは「1/fゆらぎ」と呼ばれ、心を落ち着かせる作用があるともいう。こうして阿弥陀三尊の背後にあしらわれたのも、故あることか。
 床の蓮池文を拓本に採ったものは、ときおり市場に出てくる。個人的には、それよりもこの後屏の拓本が喉から手が出るほどほしい。いつか手に入るときがくるだろうか。

 橘夫人念持仏は東京展のみの出品。先行した奈良展では麗しの《夢違観音像》が出ていた。他にも《玉虫厨子》が奈良博限定出品であったので、どちらかといえば奈良展の出品内容のほうがスケールが大きい。なにより、法隆寺の現地にだって行けてしまうのだ。
 東京展の分が悪いのは否めないが、橘夫人念持仏を加えた3点ともに、法隆寺の大宝蔵殿へ行けば基本的にいつでも会える。またのお楽しみとしたい。

 太子遠忌1400年の展覧会は、法隆寺系の本展とは別に、四天王寺系のものがもうひとつ巡回している。大阪市立美術館からはじまった展示がそれで、今度はサントリー美術館にやってくる。ふたつの展示を比べて、棲み分けはどうか。比較が楽しみである。


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