見出し画像

速水御舟展:6 /茨城県近代美術館

承前

 質・量ともに最もすぐれた御舟の作品群は、東京・広尾の山種美術館にある。
 重要文化財の《炎舞》(大正14年)と《名樹散椿(めいじゅちりつばき)》(昭和4年)をはじめ、初期から晩年まで作品がそろっている。総点数120点。館蔵品だけで、御舟展が成り立つほどだ。

 山種美術館では、手を変え品を変え、毎年さまざまな角度から御舟関連の展示が開催されてきた。御舟はまさに、館の顔として大車輪の活躍である。

 茨城県近代美術館の「速水御舟展」には、残念ながら山種美術館の作品は貸し出されなかった。
 世田谷美術館「速水御舟とその周辺」(2015年)や、先日閉幕した東京国立近代美術館「重要文化財の秘密」展にも、山種の所蔵品は出品されていない。
 指定品に関しては、規定の公開日数を自館での展示に優先的にあてているのだろう。なにせ、館の看板作品である。致し方あるまい。
 山種美術館の御舟作品がお出ましにならないなかで、どのように展示が組まれるのか……そういったあたりも、本展の見どころに違いなかった。

 《炎舞》は、ふたつのモチーフから成っている。燃えさかる火焔と、それに群がる蝶や蛾である。
 茨城での展示には、蝶・蛾の素描(個人蔵)が出品されていた。精緻に、愚直に。さまざまな種類・姿の蝶や蛾が、巻紙の上に「舞っている」というか「置かれている」。死骸の観察により描かれたものだからで、この素描が《炎舞》の細密な蝶や蛾となった。
 火焔もまた、軽井沢での焚き火の素描をもとにしている。

 かけ出しの頃からずっと写生を重んじた御舟であるが、この炎に関しては、古典学習の跡も濃厚。形状は、中世の仏画や絵巻にみられる火焔を髣髴とさせる。

 ※例=《地獄草紙》(東京国立博物館  国宝)

 写実性の追求を経て、このような古典回帰の傾向が顕著にみられるようになる。《炎舞》は、過渡期的な側面を持ち合わせているともいえよう。この絵もまた、御舟にとっての「梯子の上」であった。
 以降の作品では、平面的で単純化された画づくり、モチーフの面では花鳥や動物を描いたものが主流となっていく。
 この傾向は、もうひとつの重文《名樹散椿》や、その前年に描かれた《翠苔緑芝(すいたいりょくし)》(昭和3年  山種美術館)によく表れている。
 琳派のイメージを受け継ぎつつ、さらに装飾的にリファインされた構成がみごとである。

 茨城の展示では、少なくともこれら3点の傑作を欠いたわけだが、多くの実例・バリエーションが示されることで、片手落ち感はまったくなかった。

 ——とはいえ、個人的には「宿題」が残ってしまった。
 このシリーズを執筆しながら、その感が強くなってきたところ、朗報が。
 今年度の山種美術館の御舟展が、まもなく開幕なのである。まだまだ先の話と思っていたら、もう。
 今回のテーマは「小林古径と速水御舟 —画壇を揺るがした二人の天才 —」。これがちょうど、あす5月20日からスタートする。狙ったわけでもないのに、非常にタイムリーではないか(7月17日まで)。

 《炎舞》はもちろん、紫陽花の季節を挟むとあってか、《翠苔緑芝》が登場。あのウサギチャン、クロネコチャンにも会える。
 水戸でいい御舟がたくさん観られたから、今年の山種の御舟展は、より愉しく拝見できることだろう。(つづく


 ※山種美術館所蔵の主な御舟作品の画像は、こちらからも観られる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?