見出し画像

速水御舟展:1 /茨城県近代美術館

 群馬・桐生の大川美術館で「松本竣介デッサン50」展を観たあと、館内の図書室をぶらついていたところ、茨城県近代美術館「速水御舟展」の図録を見つけた。
 1週間前に開幕した展覧会で、新着とあってか、表紙が見えるよう立てかけられていた。
 行こうか迷っていた展示だったが、かっこいい装幀の図録をめくっていくうちに、観に行きたい気持ちがむくむくと湧いてきた。作品リストをみても、かなり気合いが入っていそうだ。

本展のず……
本展のずろ……
本展の図録

 茨城県立歴史館「鹿島と香取」とのコンボも可能であるし、このタイミングならば、偕楽園の梅まつりにも間に合うのでは。
 鹿島の神が、天神さまが、わたしを手招きしている……
 かくして、群馬行のわずか3日後、こんどは茨城・水戸まで向かったのであった。

 ——常磐線に揺られ、香取や鹿島のあたりを通過しながら、次のようなことを考えていた。

 松本竣介は36歳で没しているが、速水御舟も夭折の画家で、享年40歳。
 ただし、竣介が正味13年ほどしか描けなかったのに対し、御舟の画業は14歳で近所の画塾に入ってからの26年。しかも、かなりの早熟。つまり、御舟の画業は竣介のおよそ倍となる。
 竣介よりは長い、しかし他作家に比べれば長いとはいいがたい歳月に、御舟はめまぐるしく画風を変えていった。
 その全貌を捉えるのだから、展示作品も豊かなバリエーションをみせるのだろう。どう区切るかはある程度明らかになっているとして、どうまとめ、見せるのかといったあたりが、御舟展の見どころか。

 あるひとりの作家を取り上げる回顧展では、制作年代順とするのがオーソドックスなスタイルだ。
 ただ、修業時代や「若描き」の作には、技術面や絵としての完成度でどうしても遜色がみられる。そのあたりの作が展示の序盤から長く続くと、間延び感は必至といえよう。
 そのため、代表作や見ごたえのある作を最初にデンともってきて観衆を惹きつけ、「つかみはOK」とする展示手法がとられることも多い。
 御舟の場合も、画風変遷を追っていく前に、全体からみて核となりそうな象徴的な作品に一番槍を務めてもらうのがよさそうだ。
 作品リストの通し番号は年代順となっているが、展示順とは必ずしも一致しない。
 後ろのほうから1点もってくるのだとしたら、それはなにか。ポスターやリーフレットは《鍋島の皿に柘榴》(個人蔵)1点にがっちり固定されているが……はたして。

美術館前の看板。ポスターやリーフレットも、《鍋島の皿に柘榴》を基調としたデザインに統一されている

 ——そんなこんなで、茨城県近代美術館に到着。開館と同時に入場した。
 気になる最初の1点は……代表作のひとつ《瓶梅図》(個人蔵)であった。
 昭和7年(1932)、亡くなる3年前の作。例の「つかみはOK」方式であった。

 ※所蔵者の意向か、ウェブ上に図版が見当たらない。泣く泣く複製画を掲出……

 赤絵の壺に、梅が投げ入れられている。枝はほうぼうに伸び、画面上部の両端まで達するものもあるが、その線は密な上絵付の壺へと収斂されていく。安定した構図だ。
 咲く花は大輪でも、まだまだこれからといった趣。花より、つぼみの数がはるかに多いのだ。青々とした枝にも、若い活力を感じさせる。

 この作品、かなり大きい。高さ89.7センチ。近づいて、見上げるほどである。
 そういった点も「つかみ」としてふさわしい所以であるが、美術館のある場所、さらに展覧会の会期といったあたりもまた、本作が冒頭を飾る第1作めとして起用された理由だろう。
 ここは茨城・水戸。名にし負う、梅の名所なのである。
 本展は2月21日に開幕し、3月26日まで開催された。偕楽園を中心とした「水戸の梅まつり」は、2月11日から3月19日まで。この期間中、水戸の街は紅やら白やら、梅一色となる。
 これに乗じての《瓶梅図》である。なんとも、粋なはからいではないか!

 おもしろいのは、ポスターなどすべての広報物が《鍋島の皿に柘榴》を前面に出していたところで、あえて《瓶梅図》を選んだ点。
 作風が、まるで違うのだ。
 《鍋島の皿に柘榴》を頭に浮かべていた来館者は、《瓶梅図》に惹かれた次の瞬間には、「はて……」と疑問をいだきはじめるのである。
 「ほんとうに、同じ画家の絵なのだろうか?」

 ——このような感触を起点として、御舟の画業をおおむね時系列に沿って追いかける本展がスタートする。(つづく


美術館前庭の梅の花。いま盛りなり



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?