蟹と応挙のまち・兵庫県香美町:5
(承前)
北西端の「芭蕉の間」。
人格者で子宝に恵まれた中国・唐時代の武将・郭子儀(かくしぎ)とその孫たちが、6面の襖を使って描かれている。
子孫繁栄を象徴するこの画題を、応挙は何度か手がけている。
先日の三井記念美術館のお正月展示には、《郭子儀祝賀図》が出ていた。大乗寺の10年ほど前に制作された軸物で、郭子儀おじいちゃんを囲んで親戚一同が大集合する密な画面となっていた。
ここから、モチーフを祖父と孫数名、芭蕉などの小道具に絞り、それぞれを金地の中空に浮かせるように配したのが「芭蕉の間」の襖絵。同じ画題でも、まったく違った印象をいだかせる。
この前の「孔雀の間」、後に控える「山水の間」に比べれば狭い部屋だが、水墨で仕上げられた2室とは異なり、金地の襖に濃彩の着色で描かれている。
応挙作はこの3室のみで、一門による他の障壁画はどれも淡彩だ。「芭蕉の間」は、大乗寺客殿で唯一の濃彩の障壁画に飾られる部屋であり、最も色みの強い一室となっている。
客殿の来訪者の目線になってみると……水墨の大広間「孔雀の間」の襖を開けると、小間「芭蕉の間」の金地濃彩が目に飛びこんでくる。
手招きする郭子儀に導かれるように次の襖を開ければ、また水墨の大広間「山水の間」が。奥行きある部屋の端までずっと続いていく、スケールの大きな山水風景……まさに、応挙のマジックに振り回されっぱなしといった状況だ。
※「芭蕉の間」の襖を開け、隣の大広間2室が見えるようにした状態。
「山水の間」は「孔雀の間」に次いで広い部屋で、奥の畳は一段高くなっており、天井は折り上げ格天井。貴人をお迎えできる、格の高いつくりとなっている。
郭子儀の裏面にあたる、「山水の間」西側の襖絵がこちら。
画面左手では、山の岩肌からあふれた伏流水が滝となって、ちょろちょろと落ちるさまが描かれる。
その流れは、人家のあるあたりまで達する頃には、激しい渓流に姿を変えている。
南側の面では、山の続きがいつのまにか大河となり、松の生える岩場を越えて、大海へと注いでいく。
東側・床の間の壁面では、海原に浮かぶ松島と楼閣が描かれる。
水蒸気が一滴の雫となり、川へ、そして海へと注がれていく……というのは、大正期に横山大観が描いた代表作《生々流転》(東京国立近代美術館 重文)であった。「山水の間」と非常に近いテーマといえよう。
《生々流転》は巻子装で、右から左へと連続性をもって悠久の時間が紡がれていく。
対して応挙の「山水の間」ときたら、先に述べたように、西側と南側で来訪者の視線はあっちに来たり、こっちに来たり。南側の途中から一気にスケールを拡大して、来訪者の坐す畳はたちまち大海に、畳の目はさざなみと化すのだ。ここでも、「応挙のマジックに振り回されっぱなし」である。
大観の《生々流転》が、絶景を窓枠から第三者的にながめるといった映像的な性格のものとすれば、応挙の「山水の間」は、絶景のど真ん中に投げ出され、自分もまたそこにいる、取り込まれているといった、当事者的な臨場感を喚起するものであろう。
後者はやはり……その空間に身を置いてみなければ、本当のところはわかるまい。
——今回は、廊下の板間から、室内をのぞきこむ形での鑑賞となった。
畳に足を踏み入れることが叶えば、また見え方は変わるし、受け止め方も変わってくるのだろう。そしてそちらのほうこそが、応挙が意図した本来の姿なのだ。
書いているうちに、やり残した感が出てきてしまった……ちょっぴり悔しくなってきたので、本日はこれにてお開き。
(つづく)