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背後にひそむもの 美と民藝:3

(承前……ですが、の内容を見直し、大幅にリライトしました。お手数と存じますが、よければそちらもご覧になってください)


民芸は物よりも事に重きを置かなければ育たない
流布しない、また流布させられない物は民芸にはならない

(「吉田璋也さん」)

 わたしは、民藝とは「物」から出発するものだとばかり思いこんでいた。
 いわずもがな、それは「直観」を第一に重んじた柳の「直下に見る」思想に引っ張られているからだ。

 「直下」が民藝の根幹をなしているのは間違いないが、きっと、それだけではおぼつかない。
 考えてみれば、「直下に見る」は、言い訳に使いやすい。その判断主体たる感性がなまくらなものであっても、自己完結を可能にしてしまうからだ。
 河井は、そういったひとりよがりの見方に陥ってしまう空恐ろしさを憂い、警鐘を鳴らしたかったのではないだろうか。

 結果とプロセス、純粋な観賞と付帯的な情報、物と事。
 そのはざまで、とかく偏りがちな天秤。
 その均衡をどうにか保っていくことが、美を観ずる行為においてはやはり大切なのではないかと、いまのわたしは感じている。

 前出のように、河井は民藝の理想を「物<事」と断じている。
 純粋な観賞行為を超えた、社会運動、ムーブメントとして民藝を捉えていたと言い換えてもよい。
 実践すること、育み、広めること、定着させていくことが、彼の考える民藝の使命だった。それは閉じた美の世界に終始せず、大きな渦となって、社会や暮らしのありかたに一石を投じることといってよい。
 柳の手を離れた先の民藝運動の動向に思いを致すとき、それは河井のみならず、民藝にかかわる多くの人の理想そのものであったことが感じられるのである。

 東京国立近代美術館で目下開催中の「民藝の100年展」は、まさにそういった壮大なスケールの展覧会。
 柳の思想や蒐めた名品の紹介にとどまらず、民藝思想の広がりや、戦時体制下の国策との関係、「国立」「近代」「美術館」への柳の痛烈な批判、柳の死後の動向など、従来の民藝展では踏み込まれることのなかったテーマに敢然と挑んでいる。
 「民藝の100年展」と従来の民藝展の図式は、柳と河井の(あくまでわたしが考えた)対置構造、補完関係に似ていなくもない。
 この構図を頭の片隅に置きつつ、「背後にひそむもの」の存在を思い浮かべたり、あるいはあえて意識的に遮断したりしながら、展示を楽しんできたいと思う。眼鏡をかけたり、はずしたりを繰り返すようにして。


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