背後にひそむもの 美と民藝:1
民藝に関する本を、書棚から引っ張り出してきて読んでいる。
今日は、河井寬次郎『火の誓い』の引用から話をはじめたい。
これには、はっとさせられた。
結果がすべてか、プロセスが大事か――どんな時代でも、人により意見が分かれよう。書店にはびこるビジネス書を、どちらに拠って立つものか色分けでもしてみると、案外おもしろいのではと思う。
美術鑑賞における結果とプロセスとは、どんなものだろうか。
わたしは、美しいものは、先入観や文脈から切り離しても美しいと判ずることができると思っている。つまり「結果」寄りで、「最後の効果」「結果」を重視している。
感受するまま、純粋に鑑賞したい。目の前に形として存在している「結果」を、まずは重んじたい。柳宗悦のいう「直下(じきげ)に見る」スタンスが、ひとつの理想形である。
とはいえ、わたしとしては「プロセス」寄りのスタンスも軽視したくないと思っている。
生まれてきた経緯、歩んできた歴史、同時代との影響関係、場所の問題、さらには国宝だ重文だ、誰がどう評した、かの誰々の旧蔵だ、どこそこの古材だ……こういった付帯的な情報で幾重ものフィルターをかけながら、なんらかの色眼鏡をとおしてモノを観る。これによって得られる愉しみも、またよいものだ。
わたしのなかで、天秤は揺れ動く。
それでも、基本は「純粋な観賞」に軸足を置いてきたのだが……河井は「直接に物とは縁遠い背後のもの」、すなわちモノとしての起源、プロセスといったものをより重んじるべきと主張しているのだ。(つづく)
※おおむね同様のテーマを考えたのがこちらの投稿。齟齬がないといいが……
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