皇室のみやび 第1期・三の丸尚蔵館の国宝:2/皇居三の丸尚蔵館
(承前)
■伊藤若冲《動植綵絵》
江戸時代・18世紀 30幅のうち4幅
いわずと知れた、若冲の最高傑作。
本展では全30幅から、前後期に分けて4幅ずつを出陳。うかがったのは前期で、《菊花流水図》《南天雄鶏図》《老松白鳳図》《秋塘群雀図》の4点が拝見できた。
そもそも、完全予約制の本展をどのタイミングで訪ねるかは、《動植綵絵》の出品状況によって決めたのだった。開催中の後期展示や来年の出品作については、こちらの資料から確認できる。
《菊花流水図》。
群青・緑青の鮮やかさが、まず目に飛び込んでくる。
曲がりくねった菊の枝と流水のからみ合い、お化けかというくらい異様に巨大な白菊の花、それに対して小さすぎる鳥など、すべてにデフォルメがきいている。ありふれた画題でも、月並の感は少しもない。
《南天雄鶏図》。
細密描写と反復作業を徹底して積み重ねた、執念の一幅。かといって、引きで観て執拗さは感じず、全体のバランスがよい。
大地をガシッとつかむ脚、ぐわっと見開いた眼。絵の前に立つと威圧感があって、ちょっとだけ怖い。
頭上で南天をついばむメジロに、いったん意識が向いてしまうと、そちらが気になってしかたなくなる。
《老松白鳳図》。
黒の細密画のお次は、白の細密画。
羽毛の描写はただでさえ細密だが、そのうえ、グラデーションがつけられている。レース編みを観るようで、美しい。
《南天雄鶏図》と同じく、差し色は赤。口もと、尾っぽの先、それに旭日に施されて、画面を一気に引き締めている。この赤がなかったら、白はここまで活かされなかったかもしれない。
とくに、猪の目(ハート)状の赤。ここにも、グラデーションが入っている。そのうちの1色と旭日は同じ色調のようだが、旭日はベタ塗りで表面積が大きく、好ましい対比をみせている。
《秋塘群雀図》。
スズメの飛行隊が来襲。アルビノも混じっている。ヒッチコックの映画ではないが、これだけの群れが一直線に滑降してくれば、やはりちょっと怖い……
スズメたちの狙いは、アワ(粟)。穂の部分が、もりもりと塗り上げられている。こんなに凹凸のある絵だったっけと、驚いた。スズメに負けない存在感だ。
■小野道風《屏風土代》
平安時代・延長6年(928) 写真は部分
「三蹟」に挙げられる伝説的な能書家・小野道風の、数少ない真筆のひとつ。
「土代」とは「下書き・草稿」の意で、推敲の跡が残っている。このあと色紙に清書し、屏風に貼り付けて献上されたものの、現存していない。
高い格調と鷹揚さをみせるなかに、ある種、くだけたところがある。味わい深い、いい字だと思った。肩肘を張りすぎない感じは、下書きならではの魅力といえよう。
実物を拝見するのは今回が初めてだったと思うが、見返しの表装に目を丸くした。
法輪に羯磨(かつま)という、密教的な意匠。古い仏画の描表装(かきびょうそう)から持ってきた裂(きれ)だろう。図録など、出版物ではカットされてしまう箇所だ。
明治の元勲・井上馨(号・世外)から大正天皇に献上され、いまに至る。この伝来を聞けば、表具の仕立てにも合点がいく。
廃仏毀釈や維新後の困窮により古刹を出た仏教美術の名品を、世外は蒐めに蒐めた。仏像・仏画・仏具といったものに、美的価値を見出したのである。
そんな数寄者の大物がいかにも好みそうな、斬新で、豪壮な趣味がうかがえる仕立てとなっている。
※世外旧蔵の平安仏画(国宝)。
お隣りの若冲《動植綵絵》の前には黒山の人だかりができ、いつでも押し合いへし合い。多くの人が、スマホを構えて撮影にいそしんでいた。
反面、道風《屏風土代》の前では誰ひとり観ていなかったり、流し見をしながらすたすた通過してしまったりといった状況。なんだか寂しい。
作品はじっくり腰を据えて、心静かに拝見するほうがやっぱりすきだなぁと、独り思うのであった。
——開館記念展は、まだまだ続く。
年明けからは第2期「近世の御所を飾った品々」、さらに第3期「近代皇室を彩る技と美」、第4期「三の丸尚蔵館の名品」と、年度をまたいで展開。残るもうひとつの国宝・狩野永徳《唐獅子図屏風》は第4期、新年度の初夏に登場する予定。
もちろん国宝以外にも、皇居三の丸尚蔵館には、皇室の所有物にふさわしい極上の品々がまだまだ控えており、枚挙にいとまがない。初公開の作もあるという。
しばらくは、季節ごとに皇居へ通いつめることになりそうだ。
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