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琳派の花園あだち /足立区立郷土博物館

 ――足立と美術。
 まことに失礼ながら、双方のイメージは容易には結びつきがたい。2006年に千住大橋に石洞美術館ができるまで、足立区内には美術館がなかった。
 そんな足立区の郷土博物館で琳派展が開催されるのは、江戸琳派の花が咲き、近代に至るまで命脈を保った場所こそが、現在の足立区内・千住の一帯だったからだ。
 地名よりも駅名で「南千住から北千住にかけて」とでもいったほうが、話が早いだろうか。この日、わたしがせっせとペダルをこいだルートの前半は、まさにこのあたりであった。

 日本橋を出て最初の宿場町は、東海道でいえば品川宿、奥州街道・日光街道でいえば千住宿だった。人やものの集まるところには金が集まり、富の集積は文化を醸成する。酒井抱一や鈴木其一らの支援者、あるいは遊びのお仲間であった旦那衆は、ここ千住にいた。足立には、サロンがあったのだ。
 千住に暮らした琳派の絵師もいた。其一の高弟・村越其栄(きえい)とその息子・向栄である。文化年間に生まれ慶応に没した其栄、天保に生まれ大正に没し、近世・近代を股にかけた向栄。ふたりが、本展の主役といってよい。
 ここ十数年のあいだに足立区内の文化財調査がおこなわれ、千住界隈の旧家から村越父子や周辺の画家、また抱一、其一、芳中らの作品・資料が次々と見いだされた。その成果は「千住の琳派」(2011年)以来、同館での展示で披露されてきたが、本展は「琳派」の名を冠した久々の大展覧会となる。
 統一感のあるポップなアートディレクションから、力の入れようがびんびん伝わってくる。

 展示作には、個人蔵が多かった。
 おもしろいのは、キャプションに所蔵者の住所(地名)が併記されていること。千住の地名のオンパレードなのである。
 自転車をこぎながら住居表示板で見かけた町名であったり、通りすがった神社であったり。地図と作品がリンクする体験。レンタサイクルにして正解だった。
 どの作品も、あの千住の界隈で生み出され、愛好され、やがて蔵に仕舞われて、また見いだされて、いまここにある。
 絵は絵として、芸術表現を企図してのみ描かれるわけではない。人と人とのつながり・関係性において生み出される側面もあるのだ――理の当然でありながらも、とかく見落としがちな視点を今一度意識しつつ、作品が生まれた土壌に静かに耳を傾けて鑑賞していった。

 「千住の琳派」の作品は、絵としてはどうか。
 以前のわたしは、こんな感想をもらしている。

絵だけを見れば、筆技から使っている岩絵具の質まで、抱一から数十段もランクは落ちてしまう

作品の帰る場所:2 「仲町の家」出張展示 /足立区立郷土博物館

 本家本元の江戸琳派・抱一や其一と比較するというのは「それをいっちゃあ、おしめぇよ」ってなもので、ちょいと無粋ではあったか。
 とはいえ、おおむねそのような把握ではいたから、今回改めて村越父子の作品とがっぷり四つに組んでみて、よけいに驚いてしまった。
 「あれ、ちゃんと上手いじゃないの……」
 リーフレットに大きく出ている其栄の鹿、向栄の八橋の屏風などはたしかに、大家の類作がちらついて野暮ったく感じられてしまうのが本音だ。
 いっぽうで、四季の草花を描いたものなどは品よく、巧い。たらしこみを完璧に使いこなして、のびやかな描線が引けている。このような草花図も宗達や相説以来の琳派のお家芸ではあるが、村越父子にとっても得意とする画題だったようだ。
 リーフレットに載っていないものに、興味をひかれるものが多いなと感じた。
 二の足を踏んでいるそこのあなた、行って損はないですよ……

 本展の特設ページには「バーチャルミュージアム」なるメタバース的なコンテンツが用意されていて、会場の雰囲気をつかむことができる。
 それもまたよいのだが、できれば千住宿の雰囲気とあわせて実物に触れていただけると、非常に愉しいのではと思う。


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