見出し画像

荘司 福 旅と写生・ドローイング:1 /神奈川県立近代美術館鎌倉別館

 北鎌倉の駅から円覚寺、建長寺まで歩いてきた。その先、巨福呂坂切通のトンネルを抜ければ、すぐに神奈川県立近代美術館の鎌倉別館へたどり着く。
 チケットを求めて窓口に向かおうとすると、職員の方に声をかけられた。文化の日のため、本日は無料開放とのこと。おお、ありがたや……

 日本画家・荘司福(1910〜2002)は「旅と思索の画家」といわれる。旅や思索の跡こそが作品であり、下絵やスケッチといえよう。本展ではそれらを対照させ、作家の歩みを時系列で回顧する。
 福には「石のみ」「石ばかり」を描いた一連のふしぎな絵がある。わたしとしては、とくにこれが観たくて、訪ねてみようと思ったのだ。

 福は、筆者の出身地・仙台にゆかりの作家でもある。女子美術専門学校(現・女子美術大学)を卒業後の昭和8年(1933)に仙台で家庭をもち、夫の早逝後も昭和42年(1967)まで在住した。いったん絵筆を置き、ふたたび執りはじめたのも、仙台の地だった。
 その縁で、宮城県美術館には福の作品が多数収蔵されており、わたしにとってはおなじみであるが、福はただ「地域にゆかりのある作家」というのみならず、東北地方をまわり、そのなかにある自然や古仏をモチーフとした作家でもあった。
 本展にも、東北を描いた作品がいくつか出ていた。
 《山響》は、仙台の奥座敷・秋保温泉にある秋保大滝を描いた作品(ちなみに「あきほ」でなく「あきう」と読む)。

《山響》(1990年  神奈川県立近代美術館
=以下、すべて同館蔵・撮影可)

 まぶしいほどの新緑と、轟音をたてて落ちる滝の白とがこだまする。
 これら本作の2大モチーフは、互いに主張しあってはいるがけっして騒がしくなく、圧を感じさせない。懐の深い、包容力のある画面だ。
 この穏健さは、ムラのあるタッチに負うところが大きいだろう。もし白や緑が、ムラなくきっちり塗りこめられていたら、色合いがビビッドだったら……滝は強すぎる存在感を放ち、草木は単なる緑の塊となって、一本一本の生命を感じさせなかったはずだ。
 装飾性や記号化とは対極にある、自然の温度を表しえた作品だと思う。

 モチーフとなった秋保大滝の写真は、こちら。仙台市内では、メジャーな観光地である。

 展示室では、福の撮影による秋保大滝の紙焼き写真とスケッチが、作品と一緒に並んでいた。3つの段階を追っていくと、作者の思索の跡をなぞることができるように思われた。


 《阿吽》(1974年)は、岩手・盛岡の東楽寺に伝わる平安の仁王像一対から着想を得た作品。

《阿吽》(1974年)

 東楽寺の破損仏群は、朽ち、欠け、ところどころを虫に喰われながらも、かろうじて人のかたちを保ち、屹立している。

 風に吹かれてさらさらと、いつかそのまま自然に還っていってしまいそうな——そんな儚い存在であると同時に、長い歳月を生き抜いてきた、確固たる意志をも感じさせる。
 福の《阿吽》は、その両面を凝縮してみせた絵だと思う。

部分図・阿形


 ——他にも、東北を描いた作品としては、青森にある池をモチーフとしたものなどが出ていた。
 これらのなかには、仙台を離れて首都圏の在住となったあとの作品も多い。
 福が東北の地を長きにわたり巡りつづけ、いかに多大な影響を受けたかが、よく伝わってきたのであった。(つづく



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?