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松平造酒助江戸在勤日記-武士の絵日記-:4 /神奈川県立歴史博物館

承前

 元治2年(1865)3月6日の晩ご飯は、焼蛤だった。【図5】にもタイトルがついている。いわく「焼蛤大食之図」。

【図5】第27冊 元治2年(1865)3月6日

 大ぶりの蛤が、10個以上もある。お櫃から白飯をよそって準備万端。これはたしかに「大食」だ。
 菜箸を操り、黙々と蛤を焼きつづける造酒助。この道ウン十年の煎餅焼き職人のようにも、「ひとり焼肉」をする人のようにもみえる(後者に近い)。

 たまにはおでかけもした。
 【図6】は、王子権現までピクニックの図。菜の花咲く春の野を往く、男5人衆。背景に富士山と日光山が描かれている。画面右手には筑波山も見えたはずだ。
 【図7】は次の見開きで、同日夜の宴のようすを描く。

【図6】第27冊 元治2年(1865)3月2日〈王子権現〉
【図7】第27冊 元治2年(1865)3月2日〈宴席〉

  【図7】の右ページ中央では、女性が黄色い食べ物を大皿から取り分けている。
 黄色い食べ物は王子の名物として知られた卵焼きで、この「扇屋」は現在も営業中。行楽へ繰り出せば、その土地の名物に舌鼓を打ちたくなるのは今も昔も同じだ。


 2階の常設展示室では、本展の関連展示「造酒助とかながわ 部下久蔵の江ノ島日帰り旅」が開催中。
 造酒助の部下・久蔵は、庄内藩随一の健脚自慢。明け方に江戸を出て、江の島まで走破した。帰りも走って、その日のうちに江戸へ帰還。箱根駅伝でいえば、往路は1区から3区の3分の1(復路では8区の3分の1~10区)ほどに相当する。
 往復しただけでなく、江の島では観光をし、昼食をとり、おみやげの貝細工の小屏風を購入、鎌倉の鶴岡八幡宮まで足を伸ばそうとして道に迷い、余計に多く走っている(結局、鶴岡八幡宮にはたどり着けなかった)。
 ここは神奈川県の歴史博物館であるから、関連資料をいろいろと所蔵している。当時の江の島の風景、貝細工屋の店先はこのような感じ、貝細工の小屏風はこういったもの……などといったことも、他の資料を引用すれば具体的にわかるのだ。

 ※「造酒助とかながわ 部下久蔵の江ノ島日帰り旅」についてはこちら。


 ——関連展示も含めて、史料を読み解いていく楽しさを感じさせる展示であった。
 崩し字や史料が自在に読みこなせたら、どんなによいだろう。ずっとあこがれの境地である。


造酒助の国元・庄内藩があった山形県鶴岡市。出羽三山の羽黒山への玄関口ともなっている。堀の向こうのお城に、造酒助は登城した



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