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あこがれの祥啓 ー啓書記の幻影と実像ー :1 /神奈川県立歴史博物館

 祥啓。
  「よしのぶ」ではなく「しょうけい」。室町時代の画僧である。

 いつか、どこかの館でしっかり企画を組むべき重要作家でありながら、真作は多くない、一般的な知名度・訴求力は皆無……そんなやっかいなテーマに敢然と立ち向かったのは、神奈川県立歴史博物館だった。
 もっとも、祥啓の代表作を所蔵する根津美術館か、関東水墨画に力を入れ、鎌倉を擁するここ神奈川の歴博あたりがやっぱり有力候補になってはくる。作品リストからも、根津美術館の協力に、同じく関東水墨画を強みとする栃木県立博物館が加勢し、3館の強固なタッグで成り立っていることがうかがえる。
 一部の人が待ちわびて、ついに実現された、本格的な祥啓展である。

 祥啓は雪舟とほぼ同時代を生きた画僧だが、生没年は不詳。
 経歴も、鎌倉の建長寺で仲安真康に絵を学んだこと、同朋衆(どうぼうしゅう)のもとで3年間、室町将軍家秘蔵の中国絵画に触れたこと、建長寺で書記職を務めたことくらいしかわかっていない。

 ※同朋衆の芸阿弥が、鎌倉へ帰る祥啓に餞別として贈った絵が残っている。

 ※芸阿弥の筆法からの影響をよく感じさせる、祥啓の山水図。

 展覧会の冒頭に、祥啓の「履歴書」がパネルで掲げられていた。
 とっさに「千葉市美術館の亜欧堂田善展で見たやつだ!」と反応してしまったが、わかりやすくておもしろい。他の館もどんどんやってほしい。
 この履歴書、「エントリーシート」といった大仰な体裁ではなく、ひとつの欄が大きな、最も簡単なフォーマットである。コンビニで市販されている、アルバイト面接専用の代物……それですら、祥啓は欄をじゅうぶんに埋められないのだ。
 履歴書の空欄をして、謎に包まれた祥啓の作家像を物語り、同時に本展の導入としているわけだ。

 まずは祥啓の登場前夜、その土壌をなした関東禅林の水墨画を陳列。師とされる仲安真康の作も、ここに並ぶ。
 次なる章が、最初の山。数少ない祥啓その人と目される作例を取りそろえ、いかにすぐれた画技を身につけた絵師であったかを回顧している。
 この館所蔵の名品《花鳥図》は、覗きケースに平置きで広げられていた。ポスターやリーフレットに起用された作品としてはやや意外な扱いだったが、この館の壁つきケースはガラスと作品とのあいだに距離があり、ガラス面の映り込みも強め。じっくりと観察するには、たしかにこの状態が適しているなと実際に鑑賞してみて思った。

 本作の隣には、祥啓がお手本としたものに近いと思われる中国絵画が。芸州浅野家伝来の古渡りの軸物で、寸法や構図など非常によく似ている。
 ほんとうに、祥啓が観たそのものかも……と思わせるいっぽうで、端の端まで謹直な中国絵画に対し、祥啓描く鳥はあっけらかんとした感があり、細筆の筆先を翻した葉のやわらかな筆致などに、明らかな違いをみせてもいる。解説では祥啓が中国絵画を「写しきれなかった」と書かれていたが、あえてそうしたのかもしれない。気になるところである。
 このように精(くわ)しく見比べられたのも、ふたつの軸が隣り合って広げられ、至近距離で観察できたからこそ。両者を行き来して、祥啓の腕前と創意をその目で確認してほしい——そんな企画者の意図や思いが、展示として形になっているように感じたのだった。

 祥啓筆の可能性が高い作ばかり集めたこの章のタイトルは「清玩」。最近はほとんど使われない表現だが、じつにいい言葉、いいタイトルだと思った。
 心清らかに、味わい玩(もてあそ)ぶ。それにふさわしい祥啓の名品が、この章にはそろっているのだ。

 ——ふつうの作家ならば、ここまでの内容で展示はおおよそお開きとなり、続いたとしてもエピローグ程度なものだろうけども……じつのところ、祥啓展で大事なのはむしろこのあと、祥啓が没してからの話である。(つづく

港の見える丘公園の薔薇



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