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あこがれの祥啓 ー啓書記の幻影と実像ー :2 /神奈川県立歴史博物館

承前

 祥啓に弟子がいたという記録はないが、祥啓の没後にも祥啓ふうの絵を描く画人が相当数おり、その数名が「啓」の字を名乗っていることが、現存作品から判明している。
 彼らの経歴は、おしなべて不詳。本展では、こうした逸伝の画人による作の紹介にも多くが割かれていた。

  「伝・祥啓」の作は、非常に多く残っている。建長寺の書記を務めたことによる祥啓の通称「啓書記」は、祥啓没後にある種の「ブランド」として、独り歩きした感が強い。以降の展示内容は、近世・近代の「啓書記」受容史に切り替わる。
 戦前の売立目録(オークション・カタログ)には「啓書記」の名が頻出、目玉商品に近い扱いとなっていることも多いと、解説では述べられていた。
 これはわたしも実感していたことであるが、名残は現代にもみられると思う。
  「啓書記」と書かれた古い箱が附属する軸物は、カタログやネットオークションにいまもしばしば登場するのだ。
 その時点で眉唾の気分だけれど、表具や箱は古く、それなりに格の高さを感じる場合が多い。良家の伝来や、出品時の売立目録のコピーがついていたりもする。
 これら「伝・祥啓」のなかには、祥啓没後に祥啓ふうの絵を描いた画人の作や、近世の狩野派の粉本を用いた写し、悪意のある贋物などが混在していることだろう。
 祥啓の価値をとくに高め、「幻影」の部分を大きく増幅させたのは、近世の狩野派ではなかったか。展示では、そう述べられていた。
 《探幽縮図》(京都国立博物館  重文)中の、探幽が《花鳥図》(神奈川県立歴史博物館)と思われる作を実見した記録や、大大名家伝来らしい堂々たる表具の祥啓作品を観ていると、たしかにそうなのだろうなと思われた。近世の狩野派は画壇のみならず、古画の鑑定においても権威だったのである。

 これらの状況を踏まえて今一度、展覧会のタイトルを見てみると、より味わいが深い。

あこがれの祥啓 啓書記の幻影と実像

 実像がほとんどわからない割に、没後の広がりや後世への影響力は、ことのほか大きかった。あこがれる人が、それだけ多かった。
 和紙の上にぽたりと垂らされた、最も濃い墨色が祥啓本人だとすれば、じわじわと広がっていく墨や水分が、「その後」の受容の歴史だといえよう。同心円は、薄いかもしれないが、大きい。
 周縁を含めた、単に1人の作家をとりあげるにとどまらないあたりが祥啓をテーマとする楽しみであり、本展の魅力でもあるといえよう。
 近世・近代の受容史に関しては、贋物や際どい作、伝来を示す附属品をどんどん並べるなどして、さらに多様な事例を用いての掘り下げができそうであったし、欲をいえば日本国外に渡った祥啓の名品も観たかった。続編に期待したい。

 最後にもうひとつ。
 本展は、デザインまわりでも、とてもよい仕事がされている。リーフレットはもちろん、会場のパネル類、そして図録は、落ち着いたテイストですべて統一。

 図録は図版が大きく、作品をしっかり観せてくれている。表具が入っているのがうれしい。表具もまた、受容・評価の歴史を示す大切な資料だとの考えが根底にあるのであろう。

 この図録・展覧会を新たな起点として、研究が進んでいくはずだ。要注目である。

横浜・港の見える丘公園にて


 
 ※「あこがれの祥啓」というタイトルから「祥啓憧憬(しょうけい)」という言葉が浮かんだ。「どうけい」とも読めるから、コピーとしては微妙か。
 ※過去には、「乾山見参!」という展覧会があった(サントリー美術館  2015年)。


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