見出し画像

あの世の探検 ー地獄の十王勢ぞろいー:2 /静嘉堂文庫美術館

承前

 十王図は、最も長い壁付ケースに全13幅が横並び。これは、壮観……!

 中央は《地蔵菩薩十王図》(高麗時代・14世紀  重美)、その両隣に《二使者図》(元~明時代・14世紀  重美)、さらに両脇を5幅ずつの《十王図》(元~明時代・14世紀  重美)が固めている。
 岩崎家にはこのワンセットで入ってきたが、もとはかたや朝鮮半島、かたや中国の産。伝世の過程で別個の作品が組み合わされ、13幅で1具とされたらしい。

 繊細優美な高麗仏画の中尊と、豪壮華麗な元明仏画の12幅。共通する画題とはいえ、描きぶりはかなり異なる。しかも、中尊の足もとには十王が付き従っているから、13幅のなかで、十王がダブってしまっているではないか……もっとも、そのあたりの細かいところは、昔の人は気にしなかったようだが。
 それにしても、《十王図・二使者図》の色の鮮やかなことには驚いた。もとの色がまず鮮烈であるし、さらに、コンディションがよいために鮮明でもある。
 描写は細密ないっぽう、人物や器物の位置、画面構成は十王の各図でほぼ同じで、間違い探しをしている感覚も味わえた。

 続く最後の小部屋・第4室の主役は、鎌倉仏画と円山応挙。
 壁付ケースの4点のうち、中央のふたつのお軸だけがせり出す形で展示され、至近距離での観察が可能となっていた。
 双方をつなぐものは……普賢菩薩であり、女性である。
 法華経には女人の往生が説かれており、その信奉者を守る存在とされる普賢菩薩もまた、女性から篤い信仰を集めた。
 《普賢菩薩像》(鎌倉時代・13世紀  重文)は、そんな背景を感じさせる、たおやかなお像。彩色や文様の細緻さに、息を呑む。非常に丁寧な仕事だ。このお像の発願者も、女性であったのだろうか。

 その隣に対照させるように並んでいたのが応挙《江口君図》(寛政6年〈1794年〉 重美)。俗世の女性——遊女を、描いている。

 漂泊の歌人・西行が、江口の里(現在の大阪市東淀川区)で遊女に雨宿りを乞うたところ、遊女らしからぬ機知に富んだ歌によってやんわりと断られてしまった。それでも、歌のやりとりを続けていくうちに意気投合し、歌について世を徹して語り明かした……というエピソードが下敷きとなっている。《江口君図》の右隣には《西行物語》の古写本(重文)の当該ページが示されていた。
 この逸話はのちに謡曲に翻案され「じつは江口君は普賢菩薩の化身であり、(普賢菩薩の眷属である)白い象にまたがって昇天した」という尾鰭がつく。
 《江口君図》は白象に乗ることから、応挙の意図もこの翻案された江口君にあるのであり、さすれば隣り合った鎌倉仏画の普賢菩薩とこの応挙の美女とは、まったく同じ存在を描いた絵ということになる。

 ここまでは、いわば通り一遍の解釈であるが、本展の解説では、さらに踏み込んだ考察がなされていた。
 糸口は《普賢菩薩像》の左隣に掛かる、「源応挙」落款の《幽霊図》。応挙その人でなく、応挙に影響を受けた後世の作で、こちらも初公開という。
 本展の出品作品ではないものの、応挙の真作とされる幽霊画《返魂香之図》(青森・久渡寺)には、応挙が亡き愛妾をモデルに描いたとの伝がある。そして、その顔つきは《江口君図》と瓜二つでもあるのだ……

 すなわち「普賢菩薩ー江口君」という既知の構図に、幽霊画を糸口として「普賢菩薩ー江口君ー応挙の愛妾の亡霊」とさらに書き加えてみようといったことなのである。
 補強材料として、《江口君図》では下半身の存在感がきわめて希薄であり(=足がない)、象は人形のように生気がないといった点が指摘されていた。
 これに対して、わたしがなるほどと思ったのは、以上の点に加えて唇の色は鈍く、顔面の血色はよくない、着物の裾模様が柳(=幽霊を連想)……といった点に気づいたからであった。

 以前より《江口君図》に関しては、高雅な気品とともに、つかみようのない神秘性を感じていた。その正体が「霊」なのだとしたら、それはとても腑に落ちることだなと思われた。
 
 ——穴ぐらのごとくに真っ暗闇の展示室を出て、わたしのひと夏の「あの世の探検」は終わりを告げた。大いなる謎を残して……


仙台市の八木山動物園にて、白くない象

 ※昨年、五島美術館の西行展で《江口君図》を観た記事。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?