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日本と東洋のやきもの:2 /京都国立博物館

承前

 ご当地のやきもの・京焼が、展示室の約半分を占めていた。2002年開催の特別展「京焼 ―みやこの意匠と技―」の濃縮版とでもいえようか。
 京焼の祖・野々村仁清の作と伝わる《色絵蓮華香炉》(法金剛院からの寄託品。重文)。高さ26.4cm、最大径24.2cmの大きな香炉だ。

 近くでみると色遣いの濃厚さやごてっとした装飾性が目立つが、薄暗い仏堂の内部で仏前に供えられる道具としては、これくらいのほうが遠目で見ても存在感を示せるのではとも思われた。
 この香炉を京博に寄託している法金剛院は、JRの花園駅すぐにあるお寺で、嵐山や太秦に向かう車窓から境内を一望できる。「蓮の寺」として知られており、わたしも蓮の花のシーズンに一度訪れたことがある。
 多品種の鉢植えの蓮があちこちに置かれた庭園は、池や石組みに平安の浄土庭園の名残を残している。またご本尊は平安仏の阿弥陀如来像で、定朝様(じょうちょうよう)の基準作例として古来より名高く、国宝に指定されている。
 極楽浄土を模したその地で、阿弥陀さまに供えるためにこの香炉はつくられ、日々お香が焚かれたのであろうか。
 京博の展示室でこの蓮の形をした香炉を観ながら、あのとき目にした蓮の清廉さ、たくましい生命感を想ったのだった。

 この香炉には仁清の銘がなく、したがって「伝」とついているのだけれど、地理的にいっても、仁清その人とのかかわりがあって不自然ではない。
 法金剛院から北へ8分歩けば、仁清が制作をおこなった窯の跡地に達するのである……のだが、この窯址、よほど気にかけていなければ、かんたんに通り過ぎてしまうであろう。
 かろうじて石碑こそ立っているものの、こんな具合なのである。

 先にあったのは石碑(窯址)だというのに、なんとも窮屈そうだ。
 周辺では、近代に好事家や研究者によって表面採集が試みられ、未製品や窯道具の陶片が拾い上げられた。それっきり、まともな発掘調査がおこなわれぬまま、分譲住宅が建ってしまっている。
 採集者の記録を読むと、すぐそこの京福電鉄の線路あたりでも陶片の採取ができたという。石碑の立つ地所はもちろん、もう少し広い範囲まで広げて掘り返される日は、いつかくるのだろうか。
 清水焼として現代にも命脈を保つ京焼の祖に対して、しかるべき顕彰は必要であろう。とくに仁清・乾山の場合は、様式や意匠の面でいまだに影響の跡が強く、遠いご先祖様というよりは父親くらいの存在なのだから……

 石碑からさらに北へ徒歩3分で、巨刹・仁和寺へと到る。
 仁和寺の門前に窯を営んだ丹羽国桑田郡野々村出身の清右衛門は、寺から一字をいただいて「仁清」と名乗ったのであった。
 (つづく



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