見出し画像

大安寺の仏像:1 /東京国立博物館

 日本最初の官立寺院・大官大寺を源流にもち、平城京遷都にともなって飛鳥の地から奈良へと移った大安寺。「南都七大寺」に数えられる巨大寺院で、紆余曲折を経ながら現在まで同じ場所で命脈を保ち、多くの貴重な文化財を伝えている。
 その歴史を紐解く展覧会「大安寺のすべて」が、昨年春、奈良国立博物館で開催された。
 この展覧会は、寺宝のみで構成される、寺の名を冠した一般的な展示スタイルとは様相を異にしていた。発掘調査によって見いだされた考古遺物や、大安寺にかつてあった品、それを彷彿とさせる作例が各所から集めに集められ、寺に遺る宝物とともに展覧に供されていたのだ。作品リストを見返すと、所蔵先がだいぶ分かれているのがわかる。
 いまはなき「すべて」の輪郭に肉薄しようと努めた、企画者の工夫といえよう。

 大安寺は、鉄道の駅からは少々離れたところにある。一緒に訪ねられるような古社寺・古跡の類は、まわりにはない。路線バスの車窓から見えるのはバイパス沿いの店舗か、田んぼか、工場くらい。
 同じく「南都七大寺」に数えられる他の寺——東大寺、興福寺、元興寺、西大寺が奈良市の中心市街にあり、薬師寺、法隆寺が郊外にあっても多くの観光客を集めるのに比べると、かなり趣が異なっている。
 バス停を降り、バス通りから畦道に入っていくと、すぐに寺らしきものが見えてくる。
 大和盆地の真ん中に立つ大安寺。伽藍の四方は視界良好。境内の空間にもゆとりがあって、ガランとしている。広いには広いが、あまりガランとしていて寂しい伽藍だ。
 現在の大安寺の寺域は、最盛期の25分の1ほどといわれている。ガランとした周囲のほとんどが、もとは大安寺の伽藍だったのだ。
 掘り起こすべき場所が、開発の波に呑まれることなく掘り起こせる状態で残された——このことを、幸いといわずしてなんというだろう。これが街中であれば、そうはいかなかったはずだ。

 考古学の成果を存分に駆使することで、大安寺の往時の姿をより正確に近い形で描きだすことができる。
 考古資料を展示の導入部やコラム的な扱いとするのではなく、考古も歴史も美術もぜんぶからめて、全体を捉えようとする視点がすばらしい展覧会であった。(つづく


本日のカバー写真は、奈良は奈良でも、大安寺とは離れた宇陀のあたり。大安寺で撮った写真が見つからないため、やむをえず……それにしても、のどか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?