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杉本博司 本歌取り 東下り:2 /渋谷区立松濤美術館

承前

 《法師物語絵巻》(室町時代・15 世紀  小田原文化財団)は、和尚さんと小僧さんの笑い話9編を絵画化した絵巻。《富士山図屏風》と向かい合う長大な独立ケースによって、全体を拝見することができた。
 お間抜けで俗っぽい和尚さんの勘違いや失敗ぶりが軽妙に、オーバー気味に描かれており、滑稽だった。

   「死に薬」という一編は、砂糖を毒物だと偽って独占しようとする和尚さんと、小僧さんとの駆け引きを描く。狂言の「附子(ぶす)」や、一休さんの水飴のエピソードと同じような話の筋である。
 杉本さんは絵巻の「死に薬」を本歌とし、「附子」を踏まえて、このほど新作の狂言を発表。こちらも、展覧会の関連行事に含まれていた。


 《Brush Impression》は、最新のシリーズ。書の作品だ。

 コロナ禍の影響で、ニューヨークのスタジオには未使用の印画紙が大量に残ってしまった。使用期限切れが近づく印画紙、現像液を浸した筆を用いて、暗室のなかで一気呵成に書き上げたシリーズである。
 暗闇で視覚が制限されるなか、みずからの触覚や空間感覚を頼りに、思いをこめて筆をぶつけていく。

 展示室では「月」「水」「火」と並んでいた。曜日かな、惑星かなと関連性を探りたくなったけれど、突き当たりには「狂」の文字が。「作品とは一対一で向き合いなさいよ」と、お灸を据えられた気がした。

 デイヴィッド・ホックニーの風景画がそうであったように、コロナ禍だからこそ生まれえた表現というものが、たしかに存在する。その成果がこうして、なんの制限もない美術館で拝見できるようになったのは幸せなことだなと、改めて噛みしめるのであった。

 古美術の蒐集、狂言、書、もちろん写真と、杉本さんの創作活動は多岐にわたるけれど、忘れてはならないのが、江之浦測候所のランドスケープ・デザイン。「遺作」と自称するこの施設は、いつだって進行形・普請中である。
 建設が進む新たな美術館に加えてもうひとつ、楽しみが増えた。
 白井晟一(せいいち)の遺作である住宅《桂花の舎》(1983年  神奈川県大和市)がすでに杉本さんの手に渡っていて、江之浦への移築計画が進んでいるというのだ。会場では、移築案の模型を展示。

 ご存知の方も多いと思うが、白井晟一は本展の会場・渋谷区立松濤美術館の設計者。建築を観るために、この館を訪れる人はめずらしくない。

 杉本さんは白井に対して深い敬意をいだいており、松濤美術館が本展の会場に選ばれたのも、白井による空間とのコラボレーションを意識してのことだったようだ。
 白井は禅に通じ、書もよくした。本展には、杉本さん所蔵の墨蹟が出品。

白井晟一《瀉嘆》(昭和時代)。「瀉嘆」とは、深くため息をつくこと
白井の墨蹟と取り合わせられるのは《根来羅漢盆》(徳治2年・1307)に置かれた《楔形文字》(シュメール朝時代・5,000ー4,000年前  いずれも小田原文化財団蔵)


 白井建築はわたしにとっても大好物で、《桂花の舎》の移築はうれしいニュース。
 美術館と、どっちが先にできるのか、何年後かなど、現時点でわからないことは多いが、いずれにしても、また江之浦へ行く用事ができてしまった。(つづく

GW、快晴の江之浦測候所。白井も杉本さんも、石や穴ぐらがだいすきである


 ※白井設計の静岡市立芹沢銈介美術館は、ほんとうにすばらしい。「すきな美術館は?」ともし問われたら、わたしはここの名前を挙げるかもしれない。



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