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杉本博司 本歌取り 東下り:1 /渋谷区立松濤美術館

 現代美術家・杉本博司さんは「本歌取り」を、和歌の世界にかぎらない「日本文化の本質的な営み」と捉えている。
 西欧においてはオリジナリティの主張がとかく是とされ、模倣ともとれる行為が指弾されがちであるのに対し、日本では本歌取りが温故知新を体現する手段として受け容れられてきた……といったことを、杉本さんは述べている。
 みずからの制作においても、本歌取りを意識的に取り入れてきた。モノや土地がもつ記憶を踏まえ、読み替え、翻案する——そういった傾向を示す自作を選び、一部は新たにつくり、そして編み上げたのが、姫路市立美術館で昨年秋に単館開催された「杉本博司  本歌取り」。その続編ともいえる本展「本歌取り  東下り」が、渋谷区立松濤美術館でこの秋催された。
 巡回展ではない。それぞれの図録を捲ってみると、重複する作品は非常に限られている。リストには本展に合わせて選ばれた作品のほか、この1年で制作された新作・近作が多数含まれており、まったくの別物となっていた。

 姫路展と入れ違いの時期、年末年始をまたいで開催された「杉本博司―春日神霊の御生 御蓋山そして江之浦」(奈良・春日大社国宝殿)。このときに拝見した《甘橘山春日社遠望図屏風》《春日大社藤棚図屏風》(ともに2022年、作家蔵)にも、再会することができた。
 ふたつの六曲一双屏風に挟まれる形で展示されていたのが、本展のための新作《富士山図屏風》(2023年  作家蔵)。山梨の三ツ峠山から望む富士山をデジタル撮影し、和紙に焼き付け、屏風装に仕立てた作。奈良展の新作屏風2点と同じ技法・体裁である。

 本展のために制作されたとあって、この屏風には明確な「本歌」がある。葛飾北斎の《冨嶽三十六景  凱風快晴》、いわゆる「赤富士」だ。

 本歌に近づけるため、さまざまなデジタル処理が加えられている。街の灯りや高層の建物を消去。稜線にすら、大きく手を入れている。
 稜線は、どれくらい直されているのか。三ツ峠山から見た実際の富士山の姿と見比べてみよう。外側をごりごり削って弓なりにし、北斎の富士に近いかたちにしていることがわかる。

 こうしてつくられた画像データを、和紙に出力する。
 江之浦と春日大社の2点の屏風もそうであったが、日本画の岩絵具の跡をみているような、粒子の詰まった微細な質感で、たいへん落ち着いた雰囲気の画面となっている。
 ふしぎなもので、引きで全体を観ると写真そのものなのに、寄ってディテールに目を向けるほどに、絵画と見紛ってしまう。ぜひ、実物を観ていただきたい作。

 ——本展は「東下り」を称している。
 東海道をはるばる下ってきた都人が、東国のシンボルたるこの富士の高嶺を見上げたとしたら……圧倒されると同時に「なんて遠いところまで来てしまったのだろう」といった思いを強くし、絶望の感を新たにしたことだろう。こうして空が赤く染まりはじめ、雲のたなびく光景を見せられれば、なおさらである。
 『伊勢物語』の「男」——在原業平がそんな心持ちになったことは、きっとあったのではないか。

  「赤富士」と伊勢・業平が直接に線で結ばれることはないけれど、本展が「東下り」である以上、《富士山図屏風》の本歌には、その両方が目論まれているに違いない。
 《凱風快晴》はスカッとした風景、かたや業平には絶望・寂寥を映す風景ということになり、きわめて対照的ではある。
 複雑性をはらんだ、杉本富士の紅潮である。(つづく



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