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思わせぶりなお客さま

今日の記事は「〇〇なお客さまシリーズ」として何作か書く予定の初回エッセイです。とくにオチはありません。また登場人物の容姿や職業などに一部変更を加えています。

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インターネットで簡単に飲食店の予約ができるようになった現代。24時間どこからでもアクセスできることから、お客さまにとっても店側にとっても便利になった一方で、気軽に予約ができるがゆえのノーショウやドタキャンの増加は、業界の新たな悩みの種となっています。

昨年末の宴会・パーティーシーズンにも、第8波の到来で頭を悩ませる飲食店に追い討ちをかけるようにして「連絡なく来られなくて残念だった」といった趣旨の投稿をあちらこちらで目にしました。

実は休業する前のうちの店にも、ネット予約でこそないものの、行く行くと自身で言っておきながら、一向にその約束を守らないお客さまがいらっしゃいました。さんざん期待させておいて、です。

といっても実害はほとんどないので、別に「キャンセルされて怒り心頭!」というわけでもないのですが……。



貸切いいっすか?が口癖の建設会社社長

建設関係の小さな会社で現場に出ながら役員を務めているAさんは、この業界では珍しく、小柄で痩せ型な体格で、愛想が良い上に腰が低く、うちの店に来ると一回りほど年上にあたるうちの夫を「店長、店長」と呼んで慕ってくれる人でした。

別に年上にだけヘコヘコする太鼓持ちというわけではなく、連れてくる従業員とは友だちかと見間違うぐらい仲が良かったですし、いつも一緒にやってくる別会社の社長とは子どもを含めた家族ぐるみの付き合いをするなど、誰とでも分け隔てなく付き合いをするコミュ強だったのは間違いありません。

それになんといっても私たち店側にとって嬉しいのは、Aさんの会社はたいへん景気が良く、今どき珍しく領収書を切って飲み食いができるということでした。毎回のようにうちの平均顧客単価を引き上げて帰ってくださるのはひじょーーにありがたいこと。しかも礼儀正しく飲み方もきれい。ひとことで言うと、相当優良なお客さまだったのです。

ただ、あえてひとつだけ気になる点を挙げるとするなら、Aさんはとにかく思わせぶりな人でした。


Aさんは普段、うちに来るとまずは駆けつけで生ビールを3杯ほど胃に流し込みます。一品料理を2、3つまみ、そのあと決まって注文するのは生レモンサワー。Aさんはこれが相当お気に入りのようで、日によっては店のレモンがなくなるまで飲み尽くすこともあります。

そしてこのレモンサワーが3杯目あたりになったところで、いつものアレが始まるのです。

「店長、店長!来月なんすけど、30人ぐらいで貸し切って宴会やりたいんすけどいいっすかね?」

レモンサワーを片手に席を立ち、カウンターの向こう側にいるうちの夫に声をかけるのがお決まりです。


私たちの店は全部で25席。でもまぁちょっと詰めれば何とか30人ぐらい座れるかなぁという感じ。そのことを説明した上で、夫はAさんに、「ところでいつになりますか?」と尋ねます。するとAさん、

「20日かそれぐらいになると思うんすけど、いつも俺らの仕事を手伝ってくれてる人たちの予定もあるんで、ちょっとまた確認して電話しますね!もし30人超えるようなことがあったら適当に立ったままワイワイやりますから!」

仲間がたくさんいることが誇りであるAさん。愛読マンガはワンピースだそう。確かに、ルフィにキャラがちょっと似てるかも(体格も小柄だし)。

そしてこれもお決まりのパターン。

「あ、あの、他の連中もレモンサワーが好きなんで、当日いっぱいレモン用意しておいてもらって良いっすか!あといつも食べてる特製の唐揚げも。ぶりの照り焼きも食べたいなぁ。30人前、いけるっすか?」

うちの店は、貸切時はコース料理のみと決まっています。厨房は基本的に夫ひとりなので、アラカルトなんてやってられないのです。なので予算や食べたい料理を事前に教えておいてくれるのはありがたい。

ただ、酔った人の記憶力ほど頼りにならないものはなく、夫は毎度のごとく同じ言葉を返します。

「魚は仕入れの状況もあるので絶対にできると約束はできないんですけど、希望の料理はなるべくその通りに用意しますよ!」

すると日にちもまだ決まっていないのに、Aさんたちはさっそく仲間内で予算と細かいメニューの相談を始めます。

「これじゃあ揚げ物ばっかりだよ!」
「こんなに食べられる?」
「景気良く行きましょうよ!食べたい料理こんな感じなんすけど、1人いくらになりますかね〜店長!」

この流れが、ほぼ毎回お約束のルーティーンなのです。



実際に開催された回数は…

初めこそ、私たちも期待しました。

いちばん最初に貸切宴会の話になったときの仮予算は、料理4000円プラス飲み放題2500円の、1人6500円。30人だと合計で20万近くになります。

ちなみに飲み放題プランを用意するのは貸切のとき限定です。飲み放題なんて損なのでは?と思われるかもしれませんが、人数が増えるとたいていはあまり飲まない人と全くアルコールを飲まない人が何割か含まれるので、実は採算がとても良いのです。

人手が少ない中、万が一ドリンクのカウントを間違えてもそれほど大きな問題にならないのもいい。ハイボールやウーロンハイなどだと、お客さまが自分のテーブルで好き勝手に作って飲んでくれることもあって助かります。

大晦日じゃあるまいし、元はお酒なんて瓶ビールと白鶴ぐらいしか置いてなかった町の小さな蕎麦屋が、夜の数時間で20万も売り上げるなんてそう滅多にあることではありません。

もちろん、仕込みは14時〜17時の中休みを返上してやることになるだろうし、下手したらランチタイムを早々に切り上げて取り掛からないといけないかもしれないけど、そうまでしてでも引き受ける価値は十分にある宴会です。

なので私も夫も、初めてこの話を聞いたときは浮き足立ち、「店長、日にち決まりましたよ!」の連絡が来るのを、今か今かと楽しみに待っていたのです。

しかし残念ながらそんな景気のいい話は飲んでるあいだだけの話であって、そのあと日時が決定した旨を知らせる電話が掛かってくることはありませんでした。

Aさんが来店するたびに何度も何度も同じようなやり取りを繰り返しましたが、仮予約が本予約になることはほとんどありませんでした。

ほとんど、というのは、確かに過去何回かは本当に宴会を開いてもらったことがあるのです。たしか1人5000円×25人だったかな。6500円×30人と比べたら少々トーンダウンしている感は否めませんが、それでもめちゃくちゃありがたいことには間違いなかったですよ。

ただ実際に開催されたのは本当に数えるぐらいで、それ以外は全て計画倒れです。

あるときには、仮予約をもらっている最中にたまたまスーパーでAさんの奥さんに会ったことがあったので、恐る恐る、

「あのぅ、来月うちで宴会していただけるみたいなんですけど、予定が決まったらご連絡いただけるように伝えてもらってもいいですかね?」

と伝えたこともあります。

その時はさすがにAさん本人から電話で「今回はちょっとごめんなさい!」と連絡が来ましたが、たいていは仮予約近辺の日が近づいてもそのままスルー。正式な予約をしているわけじゃないので実害は出ておらず、ノーショウには当たりませんが、ガックリです。

だけどもっと悩ましいのは「30人で宴会するだのと大きいことを言っておいてキャンセルするなんてバツが悪いなぁ」と思っているのか?2週に一度は来ていたのが、最後の来店から3ヶ月間ほど、ピタリと来なくなってしまうことです。

いやもう無理なら無理でいいですから、何も聞かなかったことにしますから、どうか今までと同じ頻度で来てくれませんか?というきもちになります。


そういうわけなので、ある時期からはAさんが「店長、来月なんすけど!30人で!」と言い始めたら、あまり深く突っ込まず「まだ日にちありますし、はっきり決まったら連絡ください」とだけ言って軽く受け流すようにしましまた。

私たちが真剣に受け止めてしまうことで、開催できなくなってしまったときのAさんの気まずさを増幅させないようにするためです。あえて「話半分で聞いてる風」を装いましたし、こちらもいちいち当てにしないよう心がけました。日にちが決まるまで予約ではない!と。

ただまぁそうとは言いつつ……毎回心のどこかで「今度こそ本当なのでは?!」と、密かに期待してしまっていることは否めません。

お願いだから宴会が開催されそうな日の近辺は別の方からの予約の問い合わせは来ないでくれ!と思っている自分がいますし、なんとなく今回こそは開催されそうな気がする!という無意味な自信が湧くこともあります。

実際に開催してもらった実績があるだけに、どうしても僅かな可能性に賭けてみたくなるんですよね。人間の悲しい性です。だけどこれがお客さま商売というものなんでしょう。


ところで実は先日、また駅前でAさんの奥さんに会ったので少し立ち話をしたのです。ありがたいことにAさん、うちの店の再開をとても心待ちにしてくれているのだそう。

どんな形態のお店にするかはまだ未定ですが、お酒が飲めるような店としてオープンしたら、また来てくれるつもりでいるようです。

そのとき私はまた懲りもせず、Aさんの思わせぶりな言動に心躍ったり、落胆したり、売上を皮算用してみたりして、いちいち翻弄されることになるのでしょう。だけどそんなやり取りができること、そのものの有り難みもまた噛み締めているんだろうなと思います。

もう何度だって騙されていい。また私たち夫婦を惑わせに、Aさんが再びうちの店に通ってくれる日が訪れることが、リニューアルオープンに向けていくばくかの不安を抱える私の、今の小さな願いです。


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