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そういえば、最近「読書」の習慣が戻ってきた話

はじめに

みなさん、ごきげんよう。早いもので、すっかり8月も後半戦である。

今年の夏は去年に引き続き家でのんびりすることが多かった為、典型的な夏の思い出を作ることはできなかった。(花火とか、BBQとか)

しかし、その分、家での時間が充実していたように思う。その中でも「読書」に割く時間は増加した。理由は、読書に再度ハマり出したからだ。今回はどうして私が読書にリバイバルしたのかをつらつらと書いてみたい。

これまでの私

小学校の頃の私は、それこそ「本の虫」であった。おそらくこれまでの私の人生の中で一番読書漬けだった期間だったように思う。

朝、図書室に行った私は前日借りた本を返すと共に、日中に読む本を借りていた。その後、学校の休み時間を利用して、昼休みまでに本を一冊読み切ってしまうのがルーティーンだった。

昼休みには、学校から帰った後に読む本を2冊程度借りておく。これにより、一日あたり最大3冊は本を読むことができる。

もちろん、日中読む本に関しては、お昼までに読み切る必要があるので、短めの本を借りることになる。ただ、帰宅後に読む本に関しては、放課後の時間を一杯に使って読むことができるので、比較的分量が多い本を借りることが多かった。

特に、小学校時代の思い出に残っている本を何冊かご紹介したい。

①「トガリ山の冒険」いわむらかずお

この物語は、トガリネズミのトガリィじいさんが若き日の冒険を語るという構成になっている。トガリ山のてっぺんをめざすトガリィが、様々な昆虫や動物に出会い、自然と向き合い、様々な事を思考する内容だ。

この作品に出会うまでの私は、ここまで奥行きがあって自然の描写が美しい作品を読んだことがなかった。この物語のもたらす不思議な心地よさと余韻は非常に素晴らしい。今でも心の中に残っている作品だ。

②「ナルニア国物語」C・S・ルイス

世界中にファンがいる「ナルニア国物語」だが、例に漏れず私もファンの一人である。この本は7部から構成されており、衝撃のラストへ向けて、色彩豊かで奇想天外な物語が展開されていく。

特に私の中でのイチオシの作品は、5番目に出版された「馬と少年」だ。ナルニア国と対比するような存在である"カロールメン"という国が登場する。「馬と少年」はシリーズの中でも異色のアラビアンナイト系のファンタジーであり、世界観に魅了された。

また時間を割いて読み直したいシリーズの一つだ。

③「怪人二十面相」江戸川乱歩

言わずと知れた江戸川乱歩の名作「怪人二十面相」。この本を通じて、私は昭和の雰囲気に思いを馳せた。明智小五郎も魅力的であるが、それ以上に怪人二十面相に心惹かれる自分がいた。

中学生になると、部活の忙しさにかまけて、本をめっきり読まなくなってしまった。それでも、読書が嫌いになった訳ではもちろんないので、部活から帰って気力がある時には本を読んでいたように思う。

陸上部に所属していたので、スポーツを題材にした作品を手に取ることが多かった。野球を舞台に主人公達の成長を描く「バッテリー」であったり、飛び込みという水泳競技を題材にスポーツに打ち込む青春を描いた「DIVE!!」は、面白くて何度も読み返していたように思う。

高校生になると、ピピっときた作品に出会った時には、同時に、その本の著者の他の作品を読む形で自分の世界を広げていった。

日本の作家では村上春樹、江國香織、伊坂幸太郎、西村賢太、海外の作家ではヘミングウェイ、F・スコット・フィッツジェラルド、ウィリアム・ゴールディングを中心に、彼らの作品を図書室で探しては読むようになった。

ある日、何回か連続して江國香織の作品を高校の図書室で借りていたところ、女性の司書さんからいきなり「江國香織にハマる時期って、あるよね...」と話かけられた。

実務的な会話しかしたことがない人だったので、突然話しかけられたことに驚くと共に、推しの魅力をわかっている同志がいることに対して嬉しさを感じたのを覚えている。

このように、高校生までは比較的本に囲まれた生活を送っていたのだが、大学生に入ると、すっかり本を読まなくなってしまうのである。
その理由は次のセクションで取り上げたい。

本を読まなくなったワケ

大学生に入ると、本を急激に読まなくなってしまった。講義の課題図書として指定された本であったり、レポートを書く為の本に関しては、目を通していたのだが、それ以外の時間を読書に割くことが無くなってしまった。

高校時代に好きだった作家が新刊を出した際には目を通していたのだが、新しいジャンルであったり、これまで読んだことのない作家の作品には手を出さなくなってしまった。

これらの事態が引き起こされてしまったことには理由がある。

それは「映像」でのエンターテインメントに気軽にアクセスできるようになってしまい、それらのエンタメ作品に心を奪われてしまったからだ。

ちょうど大学生くらいから、空いている時間または余暇の際に、インターネットにアクセスして、映画・アニメ・動画を観ることの楽しさに気付き始め、自分の端末でひたすらそれらを観るようになってしまった。YouTubeで手軽に・面白い企画の動画にアクセスできるようになったことも影響している。

読書は面白い。が、自分の頭でイメージしたり、情景を思い浮かべたり、ロジックを咀嚼しながら読んでいく必要がある。

その点、動画は楽である。情景はすでに画面に提示されており、頭の中で思い浮かべる必要はない。自分が観たものを、そのままダイレクトに楽しめばいいのだ。

人は弱くて脆い。イエスも「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心ははやっても、肉体は弱い。」と述べていたが、まさしくその通りだと思う。かくいう私も、自分の頭で考えるプロセスを省略することのできる動画というものにハマってしまった。

悲しいかな、社会人になってからも、読書に関しては、断続的なものとなっていた。法務に主に関わっているので、実務書であったり、ビジネス書に関しては、最低限読むようにはしていたものの、私小説であったり、文学作品を愉しむ...という習慣から遠のいてしまっていた。

本を読み出したきっかけとか、習慣付けについて

一度は「読書」から遠のいてしまった私だが、koboくんとの会話をきっかけにして、読書に回帰することとなった。

koboくんと本アカウントの企画について会議をしていた時に、何気ない会話の中で「そういえば、最近本読んでないのよね」というトピックが上がった。そこから、各々で課題図書を設定して、1ヶ月に一冊ベースで読むという取り組みがゆるっとスタートすることになった。

この取り組みを受けて、課題図書を手に森に出掛けたこともあったのだが、その時の話は以下の記事にまとまっている。

結局のところ、「読書」に私を引き戻してくれたのは、時間を忘れて読んでしまうような興味深い本だった。良書に出会うと、時間を取ってじっくり腰を据えてその本に向き合うことになる。そして、読了した後には「もっと面白い本を読みたい」という飽くなき欲求が芽生えてくるものだ。

よく、「読書を習慣付けする為に〜が効果的!」という文言を見かけることがある。一時的にそれらの方法が功を奏することもあるが、詰まるところ、人を読書にかきたてるのは「面白いものを楽しみたい」という欲求なのだと私は思う。

なので、ぜひ読書を習慣化したい人は、自分にとって「面白そうな」本をどんどん手に取って読んでいくのが良いのではないかと思う。いつの日か、自分にフィットする本に出会えた時、読書の楽しさに気付くことができる。

ぜひ、お気に入りの一冊に読者のみなさんが出会えることを願っている。

(taro)

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