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エコな人々の理想国家「エコトピア」

noteのお題で#推薦図書というものがありましたので、『エコトピア・レポート』という小説について書いてみます。

私どもが運営しているWEBメディア「エコトピア」の名前の由来となっている小説です。

この小説が書かれたの1974年ですが、物語の時代設定はそれから25年後の1999年です。
簡単なあらすじですが、

・1980年、アメリカ合衆国からカルフォルニア州北部、オレゴン州、ワシントン州が独立し、「エコトピア」という国ができた。
・1999年、アメリカ人記者のウィリアム・ウェストンがアメリカ人として初めて公式訪問を許され、この神秘の国のベールをはがし、その全貌を明らかにしていく。

といった感じです。
全体の構成はウィリアム・ウェストンの書いた記事と日記を交互に織り交ぜた格好となっています。
この小説の最も特徴的な部分とは、舞台である「エコトピア」という国の在り方です。
名前からわかる通り、とにかく徹底したエコロジー至上主義国家なのです。

その例をいくつか挙げてみます。

一ブロック、ないし二ブロックほどのところなら、エコトピア人はたいてい、白塗りのプロボ自転車に乗っていくが、それが、街路に何百台となく放置されていて、だれでも自由に使うことができる。日中から夕方にかけての市民の移動によってそれらは散りぢりになるが、翌日にそなえて夜勤部隊の手で元に戻される。

今で言うところのシェア自転車ですね。
エコトピア人は自転車を非常に好んでいます。
後の記述にありますが、単に移動手段として優れているというだけでなく、〈病気を予防する輸送手段〉と捉えており、おまけに美的観点からも優れていると、とあるエコトピア人は評しています。
これは以前に私が書いたnoteに通じるところがあります。

続いてエコトピアの汚水処理システムについて。

食物のくず、汚水、塵芥などはすべて有機肥料に変換して、大地に戻し、ふたたび食糧生産サイクルに入れこむ。したがってエコトピアの各家庭では、塵芥をすべて、堆肥にするものと、再生可能なものとに分別することが義務づけられている。

なかなか理想的なリサイクルシステムです。
わが国では生ごみのほとんどは燃やされるか埋められていますし、また、汚水まで再利用するというのはごく一部分のみに留まります。
これはエコトピア人から言わせると単なる〈廃棄システム〉でしかなく、生産的な再生も行われなず、故に犯罪的行為と見なされてしまうようです。
エコトピアでは徹底したサーキュラーエコノミーが根付いています。

次は生産の在り方についてです。

わが国のデパートで色とりどりに並んでいるような物品の多くは製造が規制されている。また生活必需品の多くはまったく標準化されている。たとえばバスタオルは、一色だけ、つまり白しかないーー各人がきれいな模様に染めるわけだ(植物や鉱物などからとれる天然染料を使うのだそうだ)。

これまた、徹底しおります。
エコロジー至上主義の観点から言えば、生産段階における環境負荷を極力無くしていこうとするのは自然な発想です。
個性を出したければ自分でやりなさい、しかも環境負荷をかけない方法で、ということですね。

次も生産に関することですが、

現在、新製品のパイロット・モデルは、まず十人の普通人(当地では、礼儀正しい会話の中では〈消費者〉という言葉は使われない)からなる一般グループに提供されねばならないことが法律で定められている。そこで、故障が普通の用具で修理可能と立証されれば、製造が許可されるわけだ。

「消費は美徳」とか「使い捨て」とは真逆の世界です。
エコトピアの製品は頑丈で修理ができることが前提です。
しかも、修理は業者に頼むのではなく基本的には自分で行います。
よって、製品のライフサイクルは長くなります。
また、〈消費者〉という言葉、私たちは当たり前に使っていますが、よくよく考えるとこれからの時代にはそぐわない言葉なのかも知れません。
そういうことを、50年近く前の小説から気付かされるのも凄いことです。

続いてこちらはプラスチックに関してです。

エコトピアのプラスチックは、わが国のように化石になったもの(石油や石炭)から作るのではなく、生きている生物資源(植物)から作っている。独立後この分野は、精力的な研究が行われ、いまも継続している。わたしの情報提供者によれば、二つの大きな目的があるという。ひとつは低コストの、しかもさまざまな種類のプラスチックを製造すること。つまり、軽いもの、重いもの、硬いもの、弾力性のあるもの、透明なもの、不透明なもの、等々ーーしかも公害をひきおこさないような技術によって生産すること。もうひとつの目標は、それらすべてをバイオ・デグラダブル、つまり腐るものにするということだ。

エコトピア人でもプラスチックは使います。
ただし、普通のプラスチックではなく、バイオプラスチックです。
エコトピアでは「安定状態のシステム」、つまり、土に還り再び植物となるというサイクルが大前提であり、石油由来のプラスチックのような基本的に一方通行が前提の製品は認められないのです。
しかも、このバイオプラスチックでさえ、「不自然なもの」として積極的に歓迎されている訳でもないのです。

こちらは製品の輸入基準についてです。

エコトピアの一部の製品は、外国のはるかに効率的な企業の製品にはまったく、たちうちできない。たとえばコア・ストア以外で売っている衣類や靴は法外に高く、厳しい関税率で、アジアの労働搾取工場の製品を締め出しているーーその結果、多くのエコトピア人は、ホームメイドの衣服を着ることになり、それが美徳と考えられている。

今で言えば、フェアトレード、持続可能なサプライチェーン、CSR調達などと言ったところでしょうか。
あるいは、エシカル消費にも通じるものもあります。
エコトピアでは、ファストファッションは恐らく受け入れられないでしょう。

最後に、この小説の中で最も心に残った一節です。

「われわれは〈物〉という見方をしないーー物というようなものはないーーあるのはシステムだけだ」

これはとあるエコトピア人の言葉ですが、ここに著者アーネスト・カレンバックの哲学を垣間見たような気がします。
なるほど、物ではなくシステムか、と深く考えさせられます。
この思想が根本にあればこそ、これまで紹介したような事例がエコトピアでは根付いていると言えます。(まあ、小説の話ではありますが・・・。)
要するに、ものの考え方、思想というのは物凄く大事なのだと思います。
SDGsの達成に向けて、まずは私たち自身にパラダイムシフトを起こさなければなりません。
上述の通り、私自身、当たり前に〈消費者〉という言葉を多用していて何の違和感も感じていませんでしたが、これこそ「大量生産・大量消費」時代に生きた私たち現代人に根強く残る価値観だと思います。
もちろん、多くの所で相当に根付いている言葉であり、簡単に変えることはできませんし、変えることによる障害も多くあります。
しかし、この〈消費者〉という言葉に限らずですが、社会の在り方の変化によって、言葉の定義も見直していく必要があるのかも知れません。
このような変化から、世の中が変わることはあると思います。

#推薦図書

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