大きな海と小さな船、そして波

私の人生はこの3つでできている。大きな海は私の生きる世界で、小さな船は私自身。そして波は私にとっての障害物である。

私の精神状態は、小船で大きな海を彷徨う感覚に類似している。安定しているように見えたとしても、とても脆い。大きな波が来れば海に溺れ、死にそうになる。

私を溺れさせるだけの波でも、大きな船に乗っている人なら余裕で耐えられるだろう。周りに大きな船が多いほど、小さな私は「なぜ私だけ」と責めることにる。

おそらく、海でなく陸で暮らしている人もいる。たまに足元にちょろちょろと波がかかるくらいだろう。私からしたら羨ましすぎる環境だが、そこにいるのはお魚で、陸での生活が苦しいと感じているかもしれない。私の「海に溺れて苦しむ環境」を、羨ましがるかもしれない。

だから、苦しさに優劣なんてない。ひとりひとり色んな苦しさを抱えながら生きている。その中でも今日は、私の苦しさのお話。

最初に述べたように、私は常に小船で海を彷徨っている。少しバランスを崩しただけでも、少しの雨でも、すぐに海へと放り出されてしまう。

遠くから波が押し寄せてくると事前に分かっていれば、私だってそれに立ち向かうことができる。でも大きな船が背後から急に接近してきたらどうだろうか。突発的な波が生まれ、私は沈む。

今までの私は定期的な波にも苦しんでいたけれど、最近はやっと付き合い方が分かってきた。でも急に近づく大きな船だけは対処法が分からない。最近の私が悩む時は、大抵その大きな船が原因なのだ。

色んな人に相談すると、その大きな船から逃げればいいのだとよく言われる。でも逃げられるわけがない。大きな船の方が馬力があって、すぐに私に追いつくのだから。それに、私から離れていても大きな波を立てて私を落とすことだって簡単なんだ。

大きな船は突然やってくるし、私が逃げても大きな船の仲間は空から私を見つけて、大きな船に私の居場所を伝えてしまう。いくら私が「空から見つけても大きな船に言うのはやめて!」と叫んでも、聞こえないらしい。

「その大きな船も、より大きな船に苦しんできたのかもしれませんね。自分がされたことを繰り返してしまうことはよくあることです。」などと言ってくる人は論外だ。

大きな船が過去に同じように苦しんでたら、小さな船をつくって(あるいは見つけ出して)波を立てることは許されるのだろうか。

大きな船が寄りつけない陸に逃げればいいことは分かっている。分かっているんだけど、逃亡失敗後に深い深い海の底に沈むのが怖い。だから大きな船が老朽化して沈むまで待っているのだ。

辛いなら病院に行けばいいと言う人もいる。病院に行けばライフジャケットを貰えるかもしれない。あるいは船をアップグレードしてくれるかもしれないし、陸への方角を教えてくれるかもしれない。病院の近くは岩に囲まれていて近づきにくいけれど、少しの可能性のためにもいこうかな。

波を立ててくる人ばかりを気にしてしまうけれど、私の周りには応援してくれる人、一緒に波を超えてくれる人、沢山の仲間がいる。もう少しだけ頑張って、虹を見たい。それで夜は満点の星空をみたい。大きな船の見えないところで。

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