KEIRIN HOTEL 10ができるまで
「ケイリンホテル?そんなん、誰がいくんか!よう行かんわ。」
出張の最中、ひとりで岡山で夕食を食べていた時のことでした。たまたま隣の席に座った男性の方に「どっからきたん?」と話しかけられ、何気ない会話で、仕事で来ていること、岡山の玉野競輪場の中に『競輪』をコンセプトにしたホテルを作っていることを伝えました。
すると、突然不機嫌そうにそんな言葉を投げかけられ、その場は笑って取り繕ったものの、たくさんの人の想いが詰まったホテルのプロジェクトを否定されたような気がして・・・。何も言い返せなかった自分に、とても悔しい気持ちになりながら、岡山の夜の商店街を歩いて帰ったのを思い出します。
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この春、3月26日に開業を迎える「KEIRIN HOTEL 10」。
文字通り競輪をテーマにしていて、競輪場の中にホテルを建設する、日本初のスタジアム一体型ホテルです。私はホテルの運営を担当している(株)温故知新に所属しており、全体プロデュース・企画の担当として約3年ほど前からプロジェクトに携わっています。
玉野競輪場は、岡山県の宇野駅から車で5分・徒歩15分の立地で、直島などへ行くためのフェリー乗り場「宇野港」にもほど近く、瀬戸内の島々に日帰りも可能な場所。海街のおだやかさを感じられるとても素敵な場所です。
私自身、これまで「競輪」というスポーツに接点がなかったため、競輪に良い印象も悪い印象も持っておらず、プロジェクトが始まることをきっかけに、ルールや競技そのものの背景を学びました。
それまで、競輪をみたこともなかったのですが、今回のプロジェクトのオーナーである、チャリロトさんからホテル構想のご相談をいただき、競輪場へ視察で訪れた際に、初めて生で競輪を観戦しました。
スピード感、生身で走る選手たちの駆け引き、自転車競技のかっこよさ、スポーティーなバンクの美しさ・・・。本当に、心から感動しました。
ルールを全く知らなかった私でも、見ているだけで思わず「おぉ...!すごい...!」と声を漏らしてしまうくらいの迫力を目の当たりにします。
もちろん、賭け事という仕組み上、上手な付き合い方が必要なのは大前提ですが、純粋に、スポーツ・日本の文化としての奥深い魅力があるのではないか?と感じたのが、このホテルの企画を手掛けたきっかけでした。(ちなみに競輪は、日本発祥のプロスポーツ。そこから派生してオリンピック競技にまでなった世界へ羽ばたくスポーツです。)
実は構想段階では、コンセプトを「競輪ホテル」で行くべきなのか、という議論もたくさんなされました。従来のイメージもあり、訪れるハードルが高くなってしまうのではないかと、もっとライトな「アートホテル(瀬戸内とも近いので)」「自転車ホテル」というコンセプトも候補としてありました。
そんな中、初めて、温故知新の社長と私が競輪を生でしっかりと見たときの感動や驚きをプロジェクトチームに興奮気味に共有し、「絶対競輪でいきましょう!」とお伝えしたんです。
何かを受け継ぐ、全ての人たちへ。続いていること自体がすごいこと。
競輪、そして、私たちがホテルを作った「玉野競輪場」は、70年以上の歴史を持ちます。 競輪が生まれたのは、まだ日本がGHQの統治下にあった戦後間もない頃でした。
今の時代で「70年」何かを続けようとしても、そう簡単にはできないでしょう。そんな中、十数年も改善を続けながら運営が続いていること、玉野の競輪場が地域にあり続けていること。それ自体が、立派な文化となって、地域に根付いているのだなと感じています。
はじめて競輪場に訪れたとき、まるでタイムスリップしたかのような昔ながらのノスタルジックな空間にわくわくし、たくさんの人のドラマが折り重なっていることを知りました。
実際に、先日市民の方向けの内覧会を行った時のことです。とあるお婆様が、男性の写真を片手にホテルを訪れてくれました。「十数年前に、主人が玉野競輪場で審判の仕事をしていたんです」と嬉しそうに語ってくれたんです。
「土地の記憶は人の記憶」です。長い年月、その場所にあり続けた競輪場や玉野にはたくさんの人の思い入れや、馴染みある気持ちが詰まっているのではないかと想像しました。そんな人たちの思いを大切にリスペクトしながら、ホテルの運営をしていきたいと改めて感じています。
古さや歴史をユーモアに変えて。昔の競輪場の記憶を受け継ぐ。
今回、最も力を入れたのが昔の競輪場の『廃材』を至る所に再活用したことです。
スタジアムの椅子は、ホテルの顔となるサインやパブリックスペースの新たな椅子となり、キャラクターのガッツ玉ちゃんの巨大看板は大浴場のマークに、有料席の座席案内表はレストランのテーブルに...
たくさんの人たちの手によって、捨てられるのを待っていた廃材たちが新しいインテリアに生まれ変わりました。
他にも、岡山の選手や選手OBの皆さんにもご協力頂き、使わなくなったフレームやハンドルを集めていただき、新しいあかりを灯しシャンデリアや照明にアレンジ。
純粋に、私が初めて競輪場に訪れた際に、昔のアイテムたちの時代を感じる独特なデザインがとても気に入ったので、絶対何かに使っていきたい!と思ったのがきっかけではあったのですが
どうしても、耐震や老朽化の問題で、ホテルやレストラン自体は新築で作らなくてはならなかったため、このような取り組みを前提にした空間を考えました。
72年もの歴史がある場所だからこそ、すべてが新しいものを作ってしまうと、手触り感も、多くの人の思い入れもないデザインや空間になってしまうと感じたからです。
古いものを古いまま受け継ぐのではなく、新しい感性で捉えることで、全く違う価値が生まれることを、この場を通じて表現したかった、という密かな想いもありました。それがこの場所での「温故知新」だと、考えています。
これには実は個人的な思い入れもかなりあり、私自身、ここ数年で大切に思っていた歴史ある場所を、守りきれずに失ってしまった大きな喪失体験をしました。
「古いから価値がない」「新しいものが良いもの」そんな価値観は時代的にもあまりフィットしないのではないかと感じるのですが、その場所は古さに価値を見出せない人たちの手によって終わらせられてしまいました。
どうしても、競輪場と同じく、耐震や老朽化の問題で新しくしなくてはならない場合もあるし、そうやって場所やモノを守っていかなくてはならないシーンもあると理解しています。
だからこそ、古いものの受け継ぎ方って、もっとたくさんの選択肢があるのではないか?そんなことを投げかけてみたかったんです。
古さや歴史を面白がることで、ユーモアのあるデザインに昇華させる。そんな"温故知新"な想いが、KEIRIN HOTEL 10には詰まっています。
デザインは越境を生む。"敷居"を下げるためのデザイン。
今回のホテルのプロジェクトは、空間からプロダクトに至るまで、たくさんのデザインやクリエイティブディレクションを、&Supplyさんというクリエイティブチームに担当頂きました。
もともと代表のたくさんと友人だったこともあり、彼らの空間やデザインのファンだったのですが
遊び心とかっこよさが共存し、訪れるひとの感性をくすぐる&Supplyさんのデザインと競輪場の掛け算は、既視感のないものが生まれるのではないかと感じて、声をかけさせてもらいました。
『競輪を知らなくても、デザインや空間として興味を持ってもらい、訪れてみたら、スタジアムの日常が窓の外にある』
そのくらいの距離感のホテルにしたいという想いを、彼らが見事に具現化してくれています。
難しいジャンルのものや場所こそ、入り口は軽やかに。
デザインには敷居を下げる役割や価値があると感じます。そして、ホテルは非日常感ある場所だからこそ、普段見たり聞いたりしないようなモノやコトを知るきっかけになります。
競輪ファンだけではなく、今まで接点がなかった人にも、空間自体を楽しんでいただけることを願っています。
スポーツとしての魅力。ひたむきな選手の日常の伝え手として。
ホテルが実際にできて玉野で過ごす中で、日々感動していることがあります。朝起きて窓の外にふと目をやると、選手が朝早くから練習をしている景色を見られることです。
どんなに寒い日も暑い日も、自転車を漕ぎ続け、時には物凄いスピードでバンクを走り抜け練習をしている姿。そんな毎日を何十年も繰り返して、レースで戦い抜いているのだなと、選手の日常を間近で目撃しています。
なんだか私も朝から「自分も頑張らなくちゃ」と励まされていて、選手のひたむきな熱力が伝播してくるような感覚で、いつもその光景を楽しみにしています。
もちろん競輪には、賭け事としての側面もあるのですが、私たちが野球やサッカーを観戦するように、競技そのものの観戦楽しんだり、選手を応援したり...競輪の楽しみ方や、上手な付き合い方は、いろんな選択肢があるような気がしています。
また、競輪は日本発祥のプロスポーツで、日本以上に自転車競技の人気が高い海外では、KEIRINも大きな注目を集めるスポーツです。
たくさんの人のクラフトマンシップが集まり、日本が世界へと誇れる文化だという側面を、少しでもホテルでもお伝えする一旦を担えたら嬉しいなと思っています。
色んなイメージを持たれていらっしゃる方がいるとは思うのですが、いろんな楽しみ方をして頂きたいです、と、お伝えしていきたいです。
玉野と、競輪を、ユーモアを持ってお伝えする場になることを願って。
私自身、このプロジェクトが始まってから岡山の玉野に通い暮らす時間が増えて、岡山や玉野が大好きになりました。
この場所が、自分の大好きな場所や人たちの魅力をお伝えする玄関口になれるよう、玉野の人たちにも少しだけでも愛着や嬉しい気持ちを持ってもらえるように、宿を磨き続けていきたいです。
スタジアムには、選手たちの日常と、思わず深呼吸したくなるような瀬戸内とバンクの景色が広がっています。
今年は瀬戸内国際芸術祭も開催されて、玉野や宇野が賑やかになる年でもあります。
ぜひ、多くの人に街やスポーツ、瀬戸内を、楽しんで頂ければ幸いです。玉野競輪場で、お待ちしています。
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共に新しいホテルを創ってくれる仲間も、募集中です!この場所を面白がってくれる方、温故知新に共感してくださる方、地域の食材を使ってお料理を作ってみたい方、海街 玉野で暮らしたい方などなど・・・。ご連絡お待ちしています🚴♀️
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ホテルは149室と、温故知新としても今までにない規模感のプロジェクトで、本当に多くの人に支えて頂き、お力添えいただきました。
熱く真摯な想いを持った、オーナーでありパートナーであるmixiさん・チャリロトさん、難しくそして物凄い量のデザインを一手に引き受けてくれ、共に走り抜けてくれた&Supplyのみなさん、建設会社の東畑設計事務所さん、内装を手掛けて下さったアルスさん・ELDさん、ゼネコンの奥村組さん・大本組さん。そして、貴重な機会を与えてくださった玉野市さん、玉野に暮らすみなさん。温故知新の、頼もしく心強い仲間たち。そのほかにもホテルやレストランに関わってくださった皆様。
たくさんの難しいお願いやこだわりに応えてくださった、作り手のみなさんのおかげで楽しさ溢れる場所にできたと、心から思っています。
本当にありがとうございました。これからも、よろしくお願いします。