今日芥川龍之介を読むということ
今日芥川が読まれるとして、われわれは宮本百合子が言うように「彼の生涯の歴史的な矛盾の姿」に読まされているのだろうか。「彼の歴史的な矛盾」とは何なのか。
果たして歴史は矛盾するものであろうか?
宮本百合子の言う「彼の歴史的な矛盾」の意味は定かではない。
古典もよんだりしたらしい風ですね。
古典もよんだりしたらしい風ですね。
古典もよんだりしたらしい風ですね。
これではまるで芥川龍之介が根無し草扱いだ。
果たして宮本百合子には、古典の教養に溢れた天才芥川龍之介でない何ものかが見えていたのか?
それは誰にも解らない。
何故なら誰も宮本百合子ではないからだ。
確かに芥川にも穴がある。
しかし大抵の人より少ない方だ。
蓮實重彦、柄谷行人に比べれば、些末なところで間違えているに過ぎない。
ミスは誰にもある。
漱石全集の注解者まで間違えているのだから、間違いなんて気にすることはない。ただ間違いの受け売りによる連鎖はみっともない。
自分で判断しよう。
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