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芥川龍之介の『芭蕉雑記』に思うこと⑬ 万葉歌を間違う馬鹿がいるか

常陸少女を忘れたまふな?

 是等の作品を作つた芭蕉は近代の芭蕉崇拝者の芭蕉とは聊か異つた芭蕉である。たとへば「きぬぎぬやあまりか細くあでやかに」は枯淡なる世捨人の作品ではない。菱川の浮世絵に髣髴たる女や若衆の美しさにも鋭い感受性を震はせてゐた、多情なる元禄びとの作品である。「元禄びとの」、――僕は敢て「元禄びとの」と言つた。是等の作品の抒情詩的甘露味はかの化政度の通人などの夢寐にも到り得る境地ではない。彼等は年代を数へれば、「わが稚名を君はおぼゆや」と歌つた芭蕉と、僅か百年を隔つるのに過ぎぬ。が、実は千年の昔に「常陸少女を忘れたまふな」と歌つた万葉集中の女人よりも遙かに縁の遠い俗人だつたではないか?

(芥川龍之介『芭蕉雑記』)

 あんなことをしておいて、芥川はまだ白を切るつもりであるらしい。

 なんなら「わが稚名を君はおぼゆや」は「稚名やしらぬ翁の丸頭巾」をすっ飛ばして万葉歌「常陸少女を忘れたまふな」と対比されている。

 いやいやいや。松永貞徳を無視するのも無理があるが、

 

 万葉歌ならば「常陸少女を忘れたまふな」ではなくて、「庭に立つ麻手刈り干し布さらす東女を忘れたまふな」であろう。「藤原宇合大夫遷任上京時、常陸娘子贈歌一首」で「庭立麻手苅干布暴東女乎忘賜名」なのだが、題と歌がごちゃ混ぜになっている。

古来風躰抄 5巻 [2] [藤原]俊成 作田中市左衛門||小﨑七左衛門 1690年

 

万葉集 [4] 清水浜臣写


 これでは本当に間違い探しではないか。
 これまでこの『芭蕉雑記』には、

・芭蕉の句を勝手に読み替え
・『古今和歌集』の引用に気が付かない
・『源氏物語』に気が付かない
・蕪村の春雨の句を見落とし
・論旨が捻じれる
・「凝烟肌帯緑映日瞼粧紅」という謎の漢詩が出てくる
・24歳の田中桐江に芭蕉が学んだことになっている

 ……などの訳の分からない仕掛けがあった。まるで私の事は信用しないでください、俳句なんかまるで解らないのですから、とわざわざ断っているか、そうでなければ本当に読者を揶揄って遊んでいるとしか思えない密度だ。
 まさに漱石の『三四郎』の解らなさに匹敵する。

 さすがにここまでくると「たまたま間違えた」などと解釈するには無理があろう。これはわざわざ仕掛けられたことなのだ。

 兎に角書いていることは出鱈目なのに全部が出鱈目でない。例えば蕪村に対して「かの化政度の通人」と云ってみる。「化政文化」とは江戸後期の文化文政時代の文化をいい、蕪村を「かの化政度の通人」として捉えることは実に適切なのだ。とても時代が解っていない人間から出てくる言葉ではない。

 また「夢寐にも到り得る境地ではない」は正岡子規の『俳人蕪村』の、

草霞み水に声なき日暮かな
燕啼いて夜蛇を打つ小家かな
梨の花月に書読む女あり
雨後の月誰や夜ぶりの脛白き
鮓をおす我れ酒す隣りあり
五月雨や水に銭踏む渡し舟
草いきれ人死にをると札の立つ
秋風や酒肆に詩ふ漁者樵者
鹿ながら山影門に入る日かな
鴫遠く鍬すゝぐ水のうねりかな
柳散り清水涸かれ石ところ/″\
水かれ/″\蓼かあらぬか蕎麦か否か
我をいとふ隣家寒夜に鍋を鳴らす

 一句五字または七字の中なほ「草霞み」「雨後の月」「夜蛇を打つ」「水に銭踏む」と曲折せしめたる妙は到底「頭よりすらすらと言ひ下し来る」者の解し得ざる所、しかも洒堂、凡兆らもまた夢寐にだも見ざりし所なり

(正岡子規『俳人蕪村』)

 この「凡兆らもまた夢寐にだも見ざりし所なり」をなぞってのことであろう。芭蕉崇拝者の芭蕉でないところを探るのはやはり『芭蕉雑談』に抗してのことであろう。
 つまり芥川は『万葉集』から正岡子規迄抜かりなく読んだうえで、敢えておかしなことを次々と書いているのだ。
 しかも明治二十六年から大正九年だと1920-1893、つまり二十七年間の時の経過がある。今更芥川は何をしているのだろうか。


鬼趣?


 芭蕉もあらゆる天才のやうに時代の好尚を反映してゐることは上に挙げた通りである。その著しい例の一つは芭蕉の俳諧にある鬼趣であらう。「剪燈新話」を飜案した浅井了意の「御伽婢子」は寛文六年の上梓である。爾来かう云ふ怪談小説は寛政頃まで流行してゐた。たとへば西鶴の「大下馬」などもこの流行の生んだ作品である。正保元年に生れた芭蕉は寛文、延宝、天和、貞享を経、元禄七年に長逝した。すると芭蕉の一生は怪談小説の流行の中に終始したものと云はなければならぬ。この為に芭蕉の俳諧も――殊にまだ怪談小説に対する一代の興味の新鮮だつた「虚栗」以前の俳諧は時々鬼趣を弄んだ、巧妙な作品を残してゐる。たとへば下の例に徴するが好い。


小夜嵐とぼそ落ちては堂の月    信徳
 古入道は失せにけり露      桃青

 から尻沈む淵はありけり     信徳
小蒲団に大蛇の恨み鱗形      桃青

気違ひを月のさそへば忽ちに      桃青
 尾を引ずりて森の下草      似春

 夫は山伏あまの呼び声      信徳
一念のうなぎとなつて七まとひ     桃青

骨刀土器鍔のもろきなり      其角
 痩せたる馬の影に鞭うつ     桃青

 山彦嫁をだいてうせけり     其角
忍びふす人は地蔵にて明過し    桃青

釜かぶる人は忍びて別るなり    其角
 槌を子に抱くまぼろしの君    桃青

 今其とかげ金色の王       峡水
袖に入るあま竜夢を契りけむ     桃青

(芥川龍之介『芭蕉雑記』)

 ええと、まずここでいう「鬼趣」とは、仏教とか国学にかかわらず「怪しい感じ」「化物の感じ」の意味である。そしてここに書かれている範囲で、さしておかしなところはない。確かに芭蕉の句はおどろおどろしかったり、怪しかったり、不気味であったりする。

 それにしてもややこしいことをしてくるものだ。ここで芥川は、「その著しい例の一つは芭蕉の俳諧にある鬼趣であらう」として「鬼趣」を芭蕉の天才の根拠としている。

 しかし、

 では言水の特色は何かと云へば、それは彼が十七字の内に、万人が知らぬ一種の鬼気を盛りこんだ手際にあると思ふ。子規が掲げた二句を見ても、すぐに自分を動かすのは、その中に漂よふ無気味さである。試みに言水句集を開けば、この類の句は外にも多い。

御忌の鐘皿割る罪や暁けの雲
つま猫の胸の火や行く潦
夜桜に怪しやひとり須磨の蜑
蚊柱の礎となる捨子かな
人魂は消えて梢の燈籠かな
あさましや虫鳴く中に尼ひとり
火の影や人にて凄き網代守もり

 句の佳否に関はらず、これらの句が与へる感じは、蕪村にもなければ召波にもない。元禄でも言水唯一人である。自分は言水の作品中、必もかう云ふ鬼趣を得た句が、最も神妙なものだとは云はぬ。が、言水が他の大家と特に趣を異にするのは、此処にあると云はざるを得ないのである。言水通称は八郎兵衛、紫藤軒と号した。享保四年歿。行年は七十三である。(一月十五日)

(芥川龍之介『点心』)

 芥川が『点心』を書いたのは大正十年、『芭蕉雑記』が大正十二年から大正十三年の事なので「元禄でも言水唯一人である」と書いたことをすっかり忘れて「その著しい例の一つは芭蕉の俳諧にある鬼趣であらう」と、ついつい書いてしまったとはやはり、かなり、かなり、かなり考えづらいところなのだ。

 紫藤軒言水の話に広げると収拾がつかなくなるのでここは芭蕉の話に留めるが、何の前提もなしに言えば、こんな出鱈目な話はない。芥川が何ものか知らない人が、私の指摘だけ読めば「クレイジー」としか判断できないだろう。

蕉門珍書百種 第5編 野田別天楼 開題||安井小洒 校蕉門珍書百種刊行会 1925年

 やはり芥川が何を意図してこのようなことをしているのか解らないが、解らなさは『芭蕉雑記』の中には閉じ込められないということも見えてきた。

 さてこの先にはなにが?

 それはまだ誰も知らない。

 何故ならまだ私が書いていないからだ。

【余談】

 それにしても有料記事は読まんな。SNSで拡散するだけで無料なのに。SNSのアカウントもないの?

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