芥川龍之介の『芭蕉雑記』に思うこと⑬ 万葉歌を間違う馬鹿がいるか
常陸少女を忘れたまふな?
あんなことをしておいて、芥川はまだ白を切るつもりであるらしい。
なんなら「わが稚名を君はおぼゆや」は「稚名やしらぬ翁の丸頭巾」をすっ飛ばして万葉歌「常陸少女を忘れたまふな」と対比されている。
いやいやいや。松永貞徳を無視するのも無理があるが、
万葉歌ならば「常陸少女を忘れたまふな」ではなくて、「庭に立つ麻手刈り干し布さらす東女を忘れたまふな」であろう。「藤原宇合大夫遷任上京時、常陸娘子贈歌一首」で「庭立麻手苅干布暴東女乎忘賜名」なのだが、題と歌がごちゃ混ぜになっている。
これでは本当に間違い探しではないか。
これまでこの『芭蕉雑記』には、
・芭蕉の句を勝手に読み替え
・『古今和歌集』の引用に気が付かない
・『源氏物語』に気が付かない
・蕪村の春雨の句を見落とし
・論旨が捻じれる
・「凝烟肌帯緑映日瞼粧紅」という謎の漢詩が出てくる
・24歳の田中桐江に芭蕉が学んだことになっている
……などの訳の分からない仕掛けがあった。まるで私の事は信用しないでください、俳句なんかまるで解らないのですから、とわざわざ断っているか、そうでなければ本当に読者を揶揄って遊んでいるとしか思えない密度だ。
まさに漱石の『三四郎』の解らなさに匹敵する。
さすがにここまでくると「たまたま間違えた」などと解釈するには無理があろう。これはわざわざ仕掛けられたことなのだ。
兎に角書いていることは出鱈目なのに全部が出鱈目でない。例えば蕪村に対して「かの化政度の通人」と云ってみる。「化政文化」とは江戸後期の文化文政時代の文化をいい、蕪村を「かの化政度の通人」として捉えることは実に適切なのだ。とても時代が解っていない人間から出てくる言葉ではない。
また「夢寐にも到り得る境地ではない」は正岡子規の『俳人蕪村』の、
この「凡兆らもまた夢寐にだも見ざりし所なり」をなぞってのことであろう。芭蕉崇拝者の芭蕉でないところを探るのはやはり『芭蕉雑談』に抗してのことであろう。
つまり芥川は『万葉集』から正岡子規迄抜かりなく読んだうえで、敢えておかしなことを次々と書いているのだ。
しかも明治二十六年から大正九年だと1920-1893、つまり二十七年間の時の経過がある。今更芥川は何をしているのだろうか。
鬼趣?
ええと、まずここでいう「鬼趣」とは、仏教とか国学にかかわらず「怪しい感じ」「化物の感じ」の意味である。そしてここに書かれている範囲で、さしておかしなところはない。確かに芭蕉の句はおどろおどろしかったり、怪しかったり、不気味であったりする。
それにしてもややこしいことをしてくるものだ。ここで芥川は、「その著しい例の一つは芭蕉の俳諧にある鬼趣であらう」として「鬼趣」を芭蕉の天才の根拠としている。
しかし、
芥川が『点心』を書いたのは大正十年、『芭蕉雑記』が大正十二年から大正十三年の事なので「元禄でも言水唯一人である」と書いたことをすっかり忘れて「その著しい例の一つは芭蕉の俳諧にある鬼趣であらう」と、ついつい書いてしまったとはやはり、かなり、かなり、かなり考えづらいところなのだ。
紫藤軒言水の話に広げると収拾がつかなくなるのでここは芭蕉の話に留めるが、何の前提もなしに言えば、こんな出鱈目な話はない。芥川が何ものか知らない人が、私の指摘だけ読めば「クレイジー」としか判断できないだろう。
やはり芥川が何を意図してこのようなことをしているのか解らないが、解らなさは『芭蕉雑記』の中には閉じ込められないということも見えてきた。
さてこの先にはなにが?
それはまだ誰も知らない。
何故ならまだ私が書いていないからだ。
【余談】
それにしても有料記事は読まんな。SNSで拡散するだけで無料なのに。SNSのアカウントもないの?
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