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『決定版三島由紀夫全集』に校正ミスあり ① どこが決定版だ?

 ついに見つけてしまった。これまで「コペルニスク」と印刷されてきたものを「コペルニクス」としれっと直した『決定版三島由紀夫全集』に校正ミスが見つかった。

 それは『美しい星』の一節、第八章での大杉一雄の食事の場面。

 まずここはぎりぎりOKだろう。

彼はビーフ・スチュウに、独乙麦酒のロェーヴェンブロイを頼んだ。

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)


 Löwenbräuのオー・ウムラウトの発音は口をoのままエーのようにするのでオーとエーの中間、なんてことは独逸語ペラペラの三島に関して言う話でもないが、実際ドイツ人はウー・ウムラウトのように発音するようで、「ルーベンポイ」と聞こえる。

 問題はそこではない。

——彼は二杯目のデミ・タスの冷えたのこりを啜った。

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 デミ・タス?

 これdemitasseでは? つまり「・」はいらないのでは?


フランス語で『デミタス(demitasse)』とは、「demi=半分の」「tasse=コーヒーカップ」という意味です。
一般的には、小型のカップに濃いめに淹れたコーヒーをデミタスコーヒーと呼びます。
「ダイドーブレンド デミタスコーヒー」は、開発コンセプトとして、『小さなカップに入った、贅沢なコーヒー』をイメージし、通常サイズ(約185g)より小さめのサイズで製品化しました。

https://www.dydo.co.jp/faq/entry/116

 ダイドードリンコさんはこう説明している。


 つまりこれは「ヴィシ・ソワーズ」や「グラス・ホッパー」、古くは吉本隆明・バナナ親子の「ル・サンチマン」的ミスなんじゃないのかな。

 しかしこれは何といっても「決定版」なのだ。

 もう直せない。

 さて、どうしよう?

 些事ではあるが、これが文学に対する「ふーん」の証拠なのだ。

 今回は三島由紀夫の原稿に関わらず間違いは間違いとして訂正するというのが基本方針であったはず。ならばここは漏れである。

 何故こんなことになったのかよく考えて欲しい。漱石全集はかなり細かく註が付いていて、その註が間違っている。そして初版の表記に戻したりとなかなかややこしいものになっている。

 その点では『決定版三島由紀夫全集』は註がなくてすっきりしているものの、『谷崎潤一郎全集』同様、かなり自分で調べながら読まないと解らない。そして風俗など記録に残らない物事に関しては調べようもないものもたくさんあるので、恐らく間もなく本当に読めなくなってしまうのではなかろうか。芥川にもそういうところがある。使用例の極めて少ない言葉なども多用されていて、全集の註は追いついていない。

 特に三島は中世以前の語彙を用いているので、古典の知識なしで読むことは不可能。別の言い方をすると、現代文の専門家単独ではなく、古文の専門家と共同でなければ注解は無理であろうか。

 現に今の若い人たちは漱石の書簡集や谷崎を読むのが苦しそう。読書メーターなどでは漱石作品にさえ「現代語訳」の要望があるくらい。鴎外はもう読めるものと読めないものが分かれてくる。しかし私の印象では谷崎と三島の方が語彙は古いことがある。抑えようという気がないからだ。こうなったら註の入った『完全版 三島由紀夫全集』を印刷するしかないでしょう。

 三島由紀夫もまた誰にも読まれていなかった悲しい文学者だった、と終るのはいかにも悲しい。





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