岩波書店・漱石全集注釈を校正するベストセレクション③
這裏とは禅語では単なる場所を意味しない
禅語と云うのは取り扱いが難しい。その使い手がどの程度の解釈で用いているのかが曖昧だからだ。しかしここは俗語の説明になっているので駄目。改めるべきだろう。
橋本の名は入れなくてよろしい。
いかにも曾呂崎が橋本三五郎であるかのような印象操作になっていないだろうか。
「旻」は「閔」である
解るところまで説明しないと意味がない。
「糞箆」は洗わないのか
まだまだ結論は出ていない。
蜘蛛手とは縦横ではなく蜘蛛の足のように胴体から四方八方に伸びているようすの事である
当たり前のようでついついながしたところではないか。
この記述のみで左利きと限定することはどうか
影響力にかんがみ慎重に判断すべき。
「自家用人力車」としての用例は他に見つからない
手車は荷物運搬用のものしか見つからない。
ベロシペードを想定してペダルのことを「歯止め」と呼んだ
こういうところは早めに確認すべきだ。間もなく本当に解らなくなる。
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