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ふーんの近代文学①

驚くべき近代文学1.0


  実は近代文学1.0の正体は「ふーん」だったとしたら、あなたは驚くだろうか。それともやはり「ふーん」と流すだろうか。この「ふーん」現象はツイッターにはよくある。「ふーん」と流すしかない、さして意味のない情報がたくさんあるからだ。なかなか「へー」とはならない。たまに「え?」となる。
 近代文学2.0はかなり「へー」となっている。よく「え?」となる。しかしそれは近代文学1.0があまりにも「ふーん」だからである。

 例えば注解者が原稿を編集者に渡す。校正が返ってきて締め切りが告げられる。二校が返ってくる。三校くらいで校了としようか。その間編集者は原稿の文字を読むが、中身は見ない。つまり文字の直しはするが書かれている内容そのものには一切関知しない。そういう作業でなくては、

私 お秀の自称が「妾(わたし)」から改まり、本音の言い合いになる。「百九」「百十」も「私」。

(『定本漱石全集第十一巻』岩波書店 2017年)

 こんな注解が印刷されることはあり得ないのだ。編集者は「へー」とも「え?」とも言わない。ただ「ふーん」と流している。夏目漱石作品に興味がないのだ。私なら間違いなく「念のため、ここは確認させてもらっていいですか」と反応する。「ふーん」とは流せない。しかし現実的には私は岩波書店の編集者ではなく、「ふーん」と流している誰かが岩波書店で編集者としてお給料をもらっている。

 問題はデジタル庁の職員ではなく岩波書店の編集者が驚くほど夏目漱石作品に関心がないことだ。デジタル庁の職員が夏目漱石作品に興味がなくても文句を言われる筋合いはなかろう。

 しかし注解者の立場になって考えればこれほどはりのない仕事もなかろう。原稿を渡す。「ふーん」と流されてお終い。それで定本なのだから驚くべきことだ。
 しかもこんなことが一回ではない。

 この「鉄扇」はまず一義的に注解者が悪い。悪いには悪いが単なるミスだ。しかしそのミスが指摘されないまま印刷して売られている状況は異常なのではなかろうか。何故こんなことになってしまったのか。何故書かれていることを読まないのか。漢字が違っていたら直します、が編集者の仕事ではなかろう。

 一体なぜこんなことになってしまっているのか。

 無論おかしいのは岩波書店だけではない。

 新潮社は七号定住者にしかなれないタマルを自衛隊のレンジャー部隊出身だとする設定を見赦した。

 酒鬼薔薇君の『絶歌』の結びが作中でバイブルとされている『金閣寺』のパロディの形式になっていることに誰一人気が付かない。

 これもやはり新潮社だがブラックホールは穴だと信じている。

 講談社も「ヴィシ・ソワーズ」「グラス・ホツパー」と謎の・を見赦している。これは何度も組み直され、英訳され、訳しなおされた作品に二十年以上残る凡ミスだ。この凡ミスに関わった人間は十人では足りないだろう。つまりみんな「ふーん」なタイプなのだ。

 そして「石をどかし」とするべきところを「石をどかせ」としてしまう。調べてみるとこれはかなり古くからある村上春樹さんの癖で、「風がカーテンを揺らし」と書くべきところを村上さんは「風がカーテンを揺らせ」とやつてしまう。

 それがみんな「ふーん」で流されていく。

 この本では数字に関するルールが変更されている。全員に「ふーん」と流されて、印刷された本は世界中で売れまくった。翻訳者は一体どんな感情で訳したのだろうか。無の感情だろうか。

 しかし問題は編集者や注解者、翻訳者ばかりではそもそもないのだ。果たして近代文学1.0には「ふーん」ではない読者と云うものがたった一人でも存在しただろうか。

 例えば、

 そう『南京の基督』を読まないと確かに『東方の人』の意味は分かりにくい。しかしそもそも『東方の人』という題名を「ふーん」と流してしまえば、そこから先には何もない。

 谷崎作品に「ハイポーが抜ける」と書いてある。「ふーん」と流す。調べない。調べる気がない。勿論調べても解らないことはある。

 私も漢詩は得意ではない。しかし全部「ふーん」とは流さない。流さないので流れているのが解る。

 しかしこの人たちはどうだろう。

 あるいは、こんな人たちは。

 この世には「ふーん」の人しかいないのかと不思議に思う。その態度は何か根本的なものの欠落を意味していないだろうか。そしてむしろそういう人のみそがさも文学に興味があるかの如く振舞うのが謎である。何か適当なものでもこすっていればいいのに、何故夏目漱石を読んだと言い張らなくてはならないのかが解らない。

 しかもこんなことは今日始まったことですらないのだ。近代文学は「ふーん」され続けて来た。

 それでも私は全ての人が「ふーん」な人だとはまだ決めつけないことにする。この驚くべき日本文学史において、まだ誰かが「へー」や「え?」と反応し得るのではないかと信じている。いつかはそんな人が名乗り出てくれることを信じている。先月、私の本を三十数冊読んだ人、あなたに期待する



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