江藤淳のライフワークともいえる『漱石とその時代』は平たく言えば確かに小説家夏目漱石の実像に迫ろうという試みであり、作品を読み解きながらその関心はあくまで漱石にあった。いや、もう少し正確に言えば、漱石自身よりも漱石が存在した時代に焦点が当てられていたと言ってよいだろう。私はその真逆で、時代も漱石も漱石作品を理解するための資料に過ぎないと考えていて、これまでその方向性で夏目漱石作品を論じてきた。江藤が作家論者であれば、私は作品論者であり、その求めるところが明確に異なる。
文芸批評の目的が文学作品から時代性を切り取ることだと頑なに信じている人はやはりまた、文芸批評の目的は作品から文豪飯を切り取ることだと信じている人と同じ程度に悪意はなかろう。むしろ何の戦略もなく、わざとらしさもなく、ただ自然にそう振舞っているだけに違いない。だからゼロ年代に現れた「セカイ系」なる一連の映像作品、文学作品はポスト・モダンなり、ポップカルチャーなりと呼ばれ、新しい時代の枠組みで持て囃された。しかしそもそもさしたる現実的な手立てなく、直接世界や宇宙とつながってしまうことは古今東西普遍的な、いわばごく当たり前のことではなかっただろうか。
例えば『世界の中心で愛を叫ぶ』という小説・映画があったが、三四郎だって現実世界の激烈な活動の中心に立っている。なら夏目漱石も「セカイ系」である。それは当たり前のことではなかろうか。つまり「セカイ系」なるアイデアにはさして意味がない。あるいは全く意味がない。その程度のさして深みのない理屈で、私はこれまでに江藤淳の漱石論を様々に批判してきた。それは最終的には夏目漱石作品の読みに関する過ちを指摘する形になった。
今回は少し違う形で、江藤淳の漱石論について考えてみたい。
江藤淳の年譜を見れば、1975年、博士論文『漱石とアーサー王伝説』により博士号を取得、漱石と嫂登世との恋愛関係と『薤露行』の解釈を巡って大岡昇平と論争になったことになる。このこと自体はまだいくらか真面なことだ。その前年1974年、江藤は『決定版 夏目漱石』に収められた「登世という嫂」の中で、
と書いて話題になっている。ここまでも何とか許せる話だ。しかしこれはどうだろう。
この『表層批評宣言』の単行本は1979年に出版されている。この部分を書いた蓮實重彦はとんでもない知ったかぶりっ子ではないかと言いたいのではない。私にはむしろ夏目漱石が、嫂の登世と深い関係に陥ってしまったかどうかはどうでもいい。しかし『薤露行』に嫂の登世との不幸な過失の体験をめぐる漱石の記憶が生なましく息づいていると書かれてしまうこと、それを江藤淳ではなく蓮實重彦が書いてしまうことにこそ大きな問題があると考えている。それは「恣意的に『薤露行』を罪と死と破局の物語と読む誤りを犯している」という大岡昇平の指摘とは全く次元の違うレベルの過ちである。あるいはフェイクニュースと言ってもいい。
信じがたいのは蓮實重彦が「たとえば初期作品の一つ『漾虚集』におさめられた『薤露行』を読んでみるがよい」とあたかも江藤淳の博士論文の手柄を無きものにするかのごとき傲慢な、そして厚かましい台詞を選んだことである。段取りを踏んで確認していけば、ここで蓮實重彦はどういう了見かわざわざ『薤露行』をたとえばと挙げているが、『薤露行』に嫂との関係を見出したのは蓮實重彦ではなく、江藤淳なのである。身もふたもない話にしてしまえば「嫂の登世との不幸な過失の体験をめぐる漱石の記憶が生なましく息づいている」という蓮實重彦の感想は江藤淳の漱石論によってミスリードされたものである。私も『薤露行』は何度となく読んだが、蓮實重彦が言うような気配はまるで感じない。
そして「たとえば」といって、夏目漱石作品のうちに別の「嫂の登世との不幸な過失の体験をめぐる漱石の記憶が生なましく息づいている」といった作品を挙げることもできない。江藤淳は『一夜』も「嫂の登世との不幸な過失の体験をめぐる漱石の記憶が生なましく息づいている」作品だと主張するかもしれないが、決め手に欠くように私には感じられる。
それでも敢えて言えば『行人』の直と二郎の関係が生なましいが、深い関係に陥ってはいない。深い関係に陥ってしまったのは『門』の御米と宗助くらいなものではなかろうか。代助と三千代ですらその手前であり、先生と静にはセックスレスが仄めかされる。『坊ちゃん』の「おれ」は「本当の本当のって僕あ、嫁が貰いたくって仕方がないんだ」といいながらその気配すらない。三四郎は風呂場から逃げ出すし、吾輩もさかりがつかない。そう思ってみれば蓮實重彦の「たとえば」とは如何にも見え透いたはったりなのである。
これは村雨春陽の小説の一部で、漱石とは関係ない。いや勿論、夏目漱石作品の特徴として兄との不仲や嫂への思慕、恋愛をめぐる屁理屈や、意気地のない男や案外度胸の据わった女が現れることは間違いない。こんな「冗談」はその夏目漱石作品の特徴をことさら作り物めいた形で誇張したものだ。そうしたものを書いてみればこそ、こんなことは罪の意識があっては到底書けるものではないことが解る。だからこそ変人・漱石なのだ、と譲らない人がいても仕方ないが、仮にも「たとえば」というのであれば、こんな「冗談」を漱石作品の中にもう一つは見出さねばならないのではなかろうか。
私には蓮實重彦が小説家夏目漱石の実像に迫ろうとした江藤淳の手柄を最悪な形で横取りし、あたかも事実の上に証拠立てられたものとして「夏目漱石は、嫂の登世と深い関係に陥ってしまった」と書いたことは間違いだとしか思えない。江藤は「つまり漱石は兄嫁を密かに恋していたのであり、嫂もまたおそらくこの義弟に「親愛の念」以上のものを感じていたのである」と書いたのだ。繰り返すが私にとって作家の私生活など基本的にどうでもいい。つまり作家夏目漱石が嫂の登世と深い関係に陥ってしまったとしてもそうではなかったとしてもどちらでもいい。
しかしこんな最悪の伝搬が批評であり文学だと考えられていることが残念と言えば残念、おかしいと云えばおかしいのである。それもこれも作品ではなく作者を論じようというズレに問題があったからではないかと私は考えている。作品に書かれている内容を作者自身に引き付けすぎる傾向は、作品には必ず作者の実像が現れるという誤解から生じる。そういうこともあり、そうでない場合もあり、いずれも程度問題だ、とは誰も考えないものであろうか。そうであればまだ文豪飯から半歩も踏み出していない。
『徒然草』には「しろうるり」なる語義不詳の言葉が出て来る。(『竹取物語』の「うかんるり」も諸説あるも語義不詳と言ってよいだろう。)作家は訳の分からないもの、自分でも捉えきれないものも書くことができる。そこに実像を当て嵌められても剣呑だ。
【余談】
蓮實重彦のだらしなさを確認するためには、「しろうるり」よりも「チー牛」の例えの方が適切かもしれない。私の電子書籍を購入する金もない程度の人にはむしろ説明する必要もないことばかも知れないが、ネットスラングにチーズ牛丼を訳して「チー牛」というものがある。これはいかにもすき家でチーズ牛丼を頼みそうなオタクの事で、なんJ、なんでも実況する板の住民の近種である。
しかし「いかにもすき家でチーズ牛丼を頼みそうなオタク」というラベリングそのものはさして画期的なアイデアでもない。むしろそのように「なんでもないこと」を膨らまして面白がるネット文化の中で「チー牛」という言葉が定着してしまったのだと見るべきだろう。
蓮實重彦がやったことは江藤淳のアイデアを掠め取り、膨らませただけであり、そこには何の工夫もなく、だらしがないと言わざるを得ない。「生なましく息づいている」などという感想は、「いかにもすき家でチーズ牛丼を頼みそうなオタク」という思い付きに対して、枯渇した想像力で「そうそう、いるよな」と同調してしまう中高生レベルのものである。こんなものを有難がる人は基本的に可笑しい。
そもそもオタクがクーポンを利用することなく、チーズ牛丼に半熟卵をトッピングするものだろうか? 果たして牛丼屋の全メニューの中でチーズ牛丼がいかにもオタクが注文しそうなメニューと云えるのだろうか? データはあるのか?
実は蓮實重彦の本の購買層こそがチー牛なのではないのか?