見出し画像

芥川龍之介の『芭蕉雑記』に思うこと⑦   『源氏物語』に気が付かないのか

 これまで私は芥田についてさえ「ここはおかしい」というところはきちんと書いてきた。

 それはけして些末なことなどではない。

 あるいは太宰も同じような気概ではなかったのかと思う。

 それはまさに「わかると云ふ事は世間が考へる程、無造作にできる事ではない」からでもある。

 一昨日こんな記事を書いた。

 では耳の穴をあけることができた人、この厳しさに耐えられた人が果して何人いたのだろうか?

 もしかしたらゼロ人かもしれない。しかし芥川であれ芭蕉であれ、駄目なものは駄目で違うものは違う。

 そんな当たり前の話を今日もやる。生きている限りやる。


画なのか物語なのか

 東洋の詩歌は和漢を問はず、屡画趣を命にしてゐる。エポスに詩を発した西洋人はこの「有声の画」の上にも邪道の貼り札をするかも知れぬ。しかし「遙知郡斎夜 凍雪封松竹 時有山僧来 懸燈独自宿」は宛然たる一幀の南画である。又「蔵並ぶ裏は燕のかよひ道」もおのづから浮世絵の一枚らしい。この画趣を表はすのに自在の手腕を持つてゐたのもやはり芭蕉の俳諧に見のがされぬ特色の一つである。

涼しさやすぐに野松の枝のなり
夕顔や酔ゑうて顔出す窓の穴
山賤のおとがひ閉づる葎かな

 第一は純然たる風景画である。第二は点景人物を加へた風景画である。第三は純然たる人物画である。この芭蕉の三様の画趣はいづれも気品の低いものではない。殊に「山賤の」は「おとがひ閉づる」に気味の悪い大きさを表はしてゐる。かう云ふ画趣を表現することは蕪村さへ数歩を遜らなければならぬ。(度たび引合ひに出されるのは蕪村の為に気の毒である。が、これも芭蕉以後の巨匠だつた因果と思はなければならぬ。)のみならず最も蕪村らしい大和画の趣を表はす時にも、芭蕉はやはり楽々と蕪村に負けぬ効果を収めてゐる。

粽ゆふ片手にはさむひたひ髪

 芭蕉自身はこの句のことを「物語の体」と称したさうである。

(芥川龍之介『芭蕉雑記』)



芭蕉俳句選評 野口米次郎 著春秋社 1929年


綜結ふ片手にはさむ額髮 此句、物語の體となり、去來集撰の時、翁の方より云ひ贈られしは、物がたりの姿も一集には有るべきものとておくられしと也。


芭蕉俳句選評 野口米次郎 著春秋社 1929年

 芥川はすんなり納得しているが、ここは少し解らないところである。

 普通「物語の体」と云えば『大鏡』や『栄花物語』のような形式のことであり、何かが起こってそれが原因で次にこれが起こる、結果としてこうなるという因果の連なりを必要とする。あるいは『伊勢物語』のようにところどころに歌を挟み込み、場所を移動し時間を経過させる。

 芭蕉の云う「物語の体」がそういう意味だとすれば、「粽ゆふ片手にはさむひたひ髪」には因果なり時間の経過なりを見なくてはならないが、この句は「ひたひ髪」が「粽ゆふ片手にはさむ」にくっついていて句切れがないので、一瞬の絵のようである。

 しかし「物がたりの姿も一集には有るべきもの」と翁(芭蕉)が確かに言っている訳で、……はあ、自分の鑑賞がそこに追い付いていないのだなと。

 いやいやいや。芭蕉が言っているのは「物語の体」ではなく「物がたりの姿」ではないか。

 これは去来が勝手に「物語の体」にして、芥川が納得してしまっていないか。

 つまりこの句は物語の体を成している訳ではなく物語の姿を映しとっている、物語に材を得た作品だということなのではないか。

 ではこれが何の物語かというと、問題の「粽」の文字が『伊勢物語』『大和物語』には「飾り粽」として出てくるものの、『竹取物語』『源氏物語』『大鏡』『狭衣』『栄花』『更科』『土佐』『うつほ』『落窪』『堤中納言』などの主要な物語には「粽」が出てこない。

 これは困ったことになったぞと切り替えて「ひたい髪」の方で調べると、


古典総合研究所

 あった。しかしいずれも粽をまく場面ではない。これで「物がたりの姿」とは、流石に無理があるのではなかろうか。


芭蕉句集 : 選評 樋口功 著文献書院 1925年

源語總角の「うしろ手は知らず顏に額髮を引かけつゝいろどりたる顏づくりをよくして」或は帚木の「自分額髪をかきさぐりてあへなく心ぼそければ打ひそみぬ」などの俤かなどともいふが、粽結ふ片手を何で物語の姿といつたのであらう。


芭蕉句集 : 選評 樋口功 著文献書院 1925年

粽結ふ片手に額髮はさみあぐる女の態、いかにも物語などに描かれてあるべきおもむきならずや。源氏物語、箒木卷、みづからひたひがみをかきさぐりて。朝顏卷、まろがれたる御ひたひがみ。

粽結ふ片手にはさむ額髮といへる句がたゞ是れ粽の句にして物語めける如く、此句は是れ砧の句にして、遍昭または由性などの上にてもあらんやう聞えて、さてそこに眞趣實情の人の智に浮み響くところあるを覺えしむるが、

評釈猿蓑 幸田露伴 著岩波書店 1937年

 幸田露伴の解釈もまた「源氏物語」を念頭に置いて、「物語めける」という辺りに留まる。河東碧梧桐の解釈はさておく。

 これが室生犀星となると剣呑になる。

 粽結ふ女もまた彼の心の中の女である。園女の貞淑を愛する彼はまたかた手にはさむ額髪の物憂さを眼に止める男であつた。芭蕉は美小童を愛したことは人々の云ふところである。
 芭蕉は美小童を愛したことは人々の云ふところである。元祿は殊に美小童を愛する流行の時であつたが、自分はむしろ彼はその美を美として愛したゞけに止つてゐただらうと思ふて居る。「前髪もまだ若草の匂ひかな」の彼は、美しい元祿少年の姿に眼をとめたことは當然であつたらう
 併し彼を世の稚兒あさりのごとく云ふのはどうか、若い時分は(三十歲前)相當の若い者として生活をした人であらうが、それは全幅の彼を論ふ上の問題ではない、却つて危險な中年後に蹉跌の無かつた彼は、やはり蕭條たる大雅の道に殉じた男であつた。

芭蕉襍記 室生犀星 著三笠書房 1942年

 絵でも物語でもなくなる。

「去來文」に、「是も源氏のうちよりおもひ寄られ候。云々」とあるから此の句は源氏の古事によつて作つたものと見える。【句意】少女が粽を作りながら、片手で額髮を耳に挾んだ、なまめかしい姿態を言つたのである。


俳諧七部集 : 全釈 第2巻 (猿蓑集 前) 萩原蘿月 著改造社 1941年

 一応、「額髪」だけで「源氏物語」を想起せよということらしい。あるいは芭蕉さえ、あるいは去来であっても「そういう場面が物語にあったような気がする」、または「そういう場面は物語のなかのできごとのようだ」という程度の意味で「物がたりの姿」「物語の体」と云っているのではなかろうか。

 さらにそれを芥川が「風景画」の話の中に持ち出しているからややこしい。果たして芥川は主要な物語に粽を結う女の姿はなく、「ひたい髪」が『源氏物語』の姿を映しているていであることを理解していたのであろうか?

 繰り返し読み直してもやはりそうとは読めない。芥川は画の話をしはている。物語の語は唐突に現れる。


【余談】

 それにしても室生犀星の指摘は「少年だったかも」という疑惑を搔き立てずにはおかないものだ。確かに比較してみると、「前髪もまだ若草の匂ひかな」はテイストが近い。
 小林一茶の、

 粽結ふと顔も披露や入る座敷

 ……はまるでパロディのようだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?