芥川龍之介の『芭蕉雑記』に思うこと⑦ 『源氏物語』に気が付かないのか
これまで私は芥田についてさえ「ここはおかしい」というところはきちんと書いてきた。
それはけして些末なことなどではない。
あるいは太宰も同じような気概ではなかったのかと思う。
それはまさに「わかると云ふ事は世間が考へる程、無造作にできる事ではない」からでもある。
一昨日こんな記事を書いた。
では耳の穴をあけることができた人、この厳しさに耐えられた人が果して何人いたのだろうか?
もしかしたらゼロ人かもしれない。しかし芥川であれ芭蕉であれ、駄目なものは駄目で違うものは違う。
そんな当たり前の話を今日もやる。生きている限りやる。
画なのか物語なのか
芥川はすんなり納得しているが、ここは少し解らないところである。
普通「物語の体」と云えば『大鏡』や『栄花物語』のような形式のことであり、何かが起こってそれが原因で次にこれが起こる、結果としてこうなるという因果の連なりを必要とする。あるいは『伊勢物語』のようにところどころに歌を挟み込み、場所を移動し時間を経過させる。
芭蕉の云う「物語の体」がそういう意味だとすれば、「粽ゆふ片手にはさむひたひ髪」には因果なり時間の経過なりを見なくてはならないが、この句は「ひたひ髪」が「粽ゆふ片手にはさむ」にくっついていて句切れがないので、一瞬の絵のようである。
しかし「物がたりの姿も一集には有るべきもの」と翁(芭蕉)が確かに言っている訳で、……はあ、自分の鑑賞がそこに追い付いていないのだなと。
いやいやいや。芭蕉が言っているのは「物語の体」ではなく「物がたりの姿」ではないか。
これは去来が勝手に「物語の体」にして、芥川が納得してしまっていないか。
つまりこの句は物語の体を成している訳ではなく物語の姿を映しとっている、物語に材を得た作品だということなのではないか。
ではこれが何の物語かというと、問題の「粽」の文字が『伊勢物語』『大和物語』には「飾り粽」として出てくるものの、『竹取物語』『源氏物語』『大鏡』『狭衣』『栄花』『更科』『土佐』『うつほ』『落窪』『堤中納言』などの主要な物語には「粽」が出てこない。
これは困ったことになったぞと切り替えて「ひたい髪」の方で調べると、
あった。しかしいずれも粽をまく場面ではない。これで「物がたりの姿」とは、流石に無理があるのではなかろうか。
幸田露伴の解釈もまた「源氏物語」を念頭に置いて、「物語めける」という辺りに留まる。河東碧梧桐の解釈はさておく。
これが室生犀星となると剣呑になる。
絵でも物語でもなくなる。
一応、「額髪」だけで「源氏物語」を想起せよということらしい。あるいは芭蕉さえ、あるいは去来であっても「そういう場面が物語にあったような気がする」、または「そういう場面は物語のなかのできごとのようだ」という程度の意味で「物がたりの姿」「物語の体」と云っているのではなかろうか。
さらにそれを芥川が「風景画」の話の中に持ち出しているからややこしい。果たして芥川は主要な物語に粽を結う女の姿はなく、「ひたい髪」が『源氏物語』の姿を映しているていであることを理解していたのであろうか?
繰り返し読み直してもやはりそうとは読めない。芥川は画の話をしはている。物語の語は唐突に現れる。
【余談】
それにしても室生犀星の指摘は「少年だったかも」という疑惑を搔き立てずにはおかないものだ。確かに比較してみると、「前髪もまだ若草の匂ひかな」はテイストが近い。
小林一茶の、
粽結ふと顔も披露や入る座敷
……はまるでパロディのようだ。
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