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太宰治の『天狗』は何故天狗か?

 猿簑は、凡兆のひとり舞台だなんていう人さえあるくらいだが、まさか、それほどでもあるまいけれど、猿簑に於いては凡兆の佳句が二つ三つ在るという事だけは、たしかなようである。「市中は物のにほひや夏の月」これくらいの佳句を一生のうちに三つも作ったら、それだけで、その人は俳諧の名人として、歴史に残るかも知れない。佳句というものは少い。こころみに夏の月の巻をしらべてみても、へんな句が、ずいぶん多い。

市中は物のにほひや夏の月
 芭蕉がそれにつづけて、

あつしあつしと門々の声
 これが既に、へんである。所謂、つき過ぎている。前句の説明に堕していて、くどい。蛇足的な説明である。たとえば、こんなものだ。

古池や蛙かわずとびこむ水の音
 音の聞えてなほ静かなり

 これ程ひどくもないけれども、とにかく蛇足的註釈に過ぎないという点では同罪である。御師匠も、まずい附けかたをしたものだ。

(太宰治『天狗』)

 太宰治の『天狗』は何故天狗か? といっても何しろ芭蕉の付け方を批判しているのだから天狗なんじゃないかということに一応はなるが、そればかりではない。この太宰が指摘した『猿蓑』の巻四の、

ゆがみて蓋のあはぬ半櫃 凡兆
草庵に暫く居ては打やぶり 芭蕉
いのち嬉しき撰集のさた 去来

 ……の芭蕉の付け方を芥川龍之介が「徳山の棒が空に閃くやうにして息もつまるばかりなり。どこからこんな句を拈して来るか、恐ろしと云ふ外なし。この鋭さの前には凡兆と雖も頭があがるかどうか」と激賞しているからだ。
 また芥川は続けて巻四の、

昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ 芭蕉
しよろしよろ水に藺のそよぐらん 凡兆

 ……の凡兆の付け方について「未(いまだ)しきやうなり」(未熟なようである)とする一方、芭蕉の句に対しては、「なかなか世間並の才人が筋斗百回した所が、付けられさうもないには違ひなし」と、やはり芭蕉を持ち上げている。 

魚の骨しはぶるまでの老いを見て
 芭蕉がそれに続ける。いよいよ黒っぽくなった。一座の空気が陰鬱にさえなった。芭蕉も不機嫌、理窟っぽくさえなって来た。どうも気持がはずまない。あきらかに去来の「道心のおこりは」の罪である。去来も、つまらないことをしたものだ。
 さてそれから、二十五句ほど続いて「夏の月の巻」が終るのだが、佳句は少い。

(太宰治『天狗』)

 芥川龍之介が激賞した「草庵に暫く居ては打やぶり」が「魚の骨しはぶるまでの老いを見て」から十八句目にある。太宰治にとっては芭蕉だろうが芥川龍之介であろうが関係ないのだ。

 そのぐらいの天狗でなければ小説など書けるものではない。太宰治は筋斗(とんぼ返り)百回を易々とこなすから天狗なのだ。


[付記]

 芥川はこうも書いている。

 ことによると末世の我々には、死身に思ひを潜めた後でも、まだ会得されない芭蕉の偉さが残つてゐるかも知れぬ位だ。(中略)わかると云ふ事は世間が考へる程、無造作にできる事ではない。何事も芸道に志したからは、わかつた上にもわからうとする心がけが肝腎なやうだ。さもないと野狐(やこ)に堕してしまふ。

芥川龍之介『理解』

 その通り。芥川龍之介は夏目漱石作品の偉さを知らないまま死んだ。


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