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日本の古い話し

血気にはやる侍が禅僧に、地獄とは何か?極楽とは何か?と問う。
しかし禅僧は侍の問いを一笑に付す。
「この無礼者が。お前なんぞに関わる暇は持たぬ」。
体面を傷つけられた侍は激怒し、刀を抜いて大声をあげた。
「無礼な!切り捨ててくれる!」

「それを地獄と申す」。
禅僧は静かに答えた。

怒りに狂った自分の心をズバリ突かれて我にかえった侍は、刀を鞘におさめ、禅僧に向かって一礼した。

禅僧は再び口を開いた。
「それを極楽と申す」。

心が乱れている自分の状態に突然気づいた侍の話しは
感情に囚われて我を忘れた状態と感情に押し流されている
自分自身を認識している状態との決定的な差異を物語っています。

自分が感じている感情などわかりきっていると思われるかもしれない。

しかし考えてみれば、自分が抱いている感情にまったく気づかずにいた経験あるいは後になってようやく自分の本当の気持ちに気づいた経験は誰にでもあるはずです。

『今ここ』に意識してください。

極楽はあなたの中にあります。

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