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人間は誰しもが「高性能センサーの塊」である

 約20種類。これは2024年現在の一般的なスマートフォンが搭載(又は対応)しているセンサーの数である。例えば、本体を持ち上げればモーションセンサーが傾きを感知してバックライトを点灯し、照度センサーが周囲の明るさを読み取って輝度を調整。静電センサーが画面のタッチ位置を割り出し、指紋認証センサーが登録済みの指紋と照合してロックを解除。耳元に近づければ近接センサーが反応して画面を通話モードに切り替えるといった具合に普段の何気ない操作の一挙手一投足が様々なセンサーの働きのおかげで実現している。ほんの一部を文章化しただけでも思うが、改めて文明の利器とはよく言ったものである。

 元来センサー(Sensor)という言葉は人間が五感から受ける感覚=センス(Sense又はSensory)を語源に持つことから、人間の知覚過程を機械的に再現する未来を思い描いたであろう命名当時の様子が脳裏に浮かぶ。しかしながら、高度な人工知能(AI)やIoT(Internet of Things)、ドローン、IPS細胞など一昔前ならSF映画に登場するような極めて高等な技術や機器類までが加速度的に普及し始めた現代においても、人間の五感の仕組みについては未だその全容を解明できていないのが実状である。とりわけ味覚と嗅覚の分野は他の感覚に比べて大幅に研究が遅れているというのが業界の共通認識だが、見方によっては人体の神秘性が何とか保たれていると言い換えられなくもない。

 現在、人間は基本五味に応答する味覚受容体(甘味・うま味各1種、塩味・酸味各2種、苦味26種)を駆使して各食物の化学的に入り混じった複雑な味の構成要素を瞬時に感じ取り、396種にも上る嗅覚受容体では少なくとも1兆種類の匂いを感じ分けることが出来ると言われている。これに視覚で識別できる約100万色の色や明暗、最高分解能2mmの触覚で感じる質感や温度、20Hz~20KHzと広範囲の音域に対応した聴覚から得られる情報なども加えれば実質無限に近い事象の判別が可能だ。人間とは言わば高性能センサーの塊なのである。

 ただ、残念ながら現代人の多くはその潜在能力の高さの割に無自覚で、むしろスマートフォンやITサービスなど日進月歩の科学技術が拡張してくれる「分かりやすい人間以上の力」にご執心である。

 人間を含む動物の各種能力は基本的には種の存続のために獲得してきたものと考えるのが本筋だが、傲慢にも万物の霊長を自称して高度な文明を築き上げてきた人類がその礎たる自身の強大な力よりも、その集積が生み出した一過性の成果物にばかり信を置くのだとしたら、人間の地力は今後先細ってしまうのではないかという一抹の不安がよぎる。

 人間の人間たる所以は類まれな知覚能力の高さと適度な曖昧さの紙一重の均衡にあると筆者は考えるが、近い将来、人間以上の何かしらがより幅を利かせる時代になった時、人間らしさという可能性の源泉がどこにあるのかという問いが大きな壁として人類の前に立ちはだかるのは想像に難くない。せめてその答えくらいは誇り高き人間自身に求めてほしいものである。

参照元:大人のための「感性の食育学」 - コラムニスト・フジワラコウ


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