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SNS時代の「怒り」との付き合い方




大多数の人がスマホを持ち、SNSを利用する現代。


Twitter、LINE、Instagram、Facebook、そしてこのnoteもそうだ。


あなたは、SNSに心をすり減らされていないだろうか?








僕がSNSの利用を始めてから、もう10年ほどが経とうとしている。


しかし、SNSによって嫌な気持ちになった記憶はほとんどない。







それは、僕がSNSを使うときに自分に課しているルールの恩恵による部分が大きいと思っている


そのルールとは、一瞬の怒りにまかせた内容を書かないことだ。










◇◇◇










みなさんは、SNSで不満を投稿したり、愚痴を書いたりするだろうか。


もちろん、それもルールや常識の範囲内なら自由だ。








それでストレスを発散したり、メンタルの調整をする人もいるだろう。


しかし、多くの場合、この方法にはリスクがある。


それは、自分の書いた内容が未来の自分を痛めつけてしまうことだ。








僕はたびたび自分の投稿を見返す。

その時に、数日前の自分が書き込んだ愚痴がみえたとしよう。


瞬間、過去の嫌な気持ちがフラッシュバックしてしまうのだ。


愚痴を書いたときには一時的に発散された鬱憤に、再び心を蝕まれる。










これが、僕が怒りに由来する文章を書かない一番の理由だ。


しかし、人間だれしもイラっとすることや癪にさわることはあるだろう。


そんなときは、どうすればよいのだろうか。













◇◇◇











僕の敬愛するセネカ(古代ローマの政治家・哲学者)の著作の中に、こんな言葉がある。





怒りに対する最良の対処法は、遅延である。怒りに最初にこのことを、許すためではなく判断するために求めたまえ。怒りには、はじめは激しい突進がある。

(太字は引用者による)
セネカ著、兼利琢也訳『怒りについて』岩波文庫 p,174








あなたは、一時の怒りに身を任せた書き込みをしたことはないだろうか。


最低限、これだけは避けるようにしてほしい。


普段のあなたなら決してしない書き込みをしてしまう危険があるからだ。









現実世界で瞬間的に怒りを抑え、口に出かかった言葉を飲み込むのは至難の業だ。


しかし、SNSにおいては一度文字に起こすという過程がある分、深呼吸をして落ち着くための余裕がある。










そして、これが一番重要なのだが、話した言葉が一瞬で消えるのに対して書いた言葉は形を保って残るのだ。


私たちは小学生のころからノートをとって、書いた言葉の特徴を学んでいるはずだ。


見返して、思い出せる。

テスト対策としてノートを見返すのは鉄板だろう。










もしこれが、自分の突発的な怒りの感情・体験を文字に起こしたものとなると、どうだろう。


その時の感情・記憶が、少なからず蘇るはずだ。


しかも、それがセネカの言う、怒り始めたときの激しい突進だったとしたら。









その内容は、平常心を取り戻したあなたの感情と大きく乖離しているだろう。


終焉を迎えたはずの激しい怒りの突進を、あなたは追体験することになってしまうのだ。









さらに厄介なのは、平常心のときに見返すとそのギャップによって、


「自分はこんなことを投稿してしまったのか...」


という後悔の念に襲われることだ。


これは、再読できる、公開されている、瞬間的に発信される、といったSNS特有の事象だといえるだろう。













◇◇◇











思えば、人類が「怒り」をこんなにも気軽に文字に起こせる時代は今までなかったのかもしれない。


過去の時代においては、文字に起こすまでに時間を要すため、多少なりとも最初の怒りの突進が収まってから筆をとったことだろう。

















しかし、現代ではどうだろう。


ポケットから道具を取り出し、指を走らせること十数秒あれば完了だ。


この短時間では、怒りの突進が収まろうはずもない。









飽くなき進歩を続けてきたはずの私たちに、2000年前を生きた古代の哲人の言葉が深々と突き刺さる。










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