記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

2023年映画感想No.62:イノセンツ(原題『De uskyldige』) ※ネタバレあり

"子供性"の設定とその描き方の面白さ

ホワイトシネクイントにて鑑賞。インスパイア元とされている大友克洋の『童夢』は未読。
冒頭から主人公イーダは自閉症の姉の存在によって両親にかまってもらえず、その姉ともコミュニケーションの断絶を抱えている。自分が一人の人間として扱われないことを自分より弱い立場(と彼女が思っている存在)に転嫁していく彼女のキャラクターが家庭環境と密接にかかわる子供性として感じられる描かれ方になっている。この映画は登場人物たちが「どうしてそういう人物なのか?」という性格や背景、「どうして彼女たちが繋がり合うのか」という関係性などを言葉ではなく見せきる演出がすごく工夫されていて、単に説明の省略が上手いという以上に演出面からもグッと引き込まれる。
新しい引越し先でもコミュニティに上手く馴染めなかったりとイーダの抱えるままならなさは加速していくのだけど、それに伴って姉に対する嫌がらせもギョッとするほど残酷になるのが怖い。身体に訴える痛さの演出が目を背けたくなるくらい容赦ないのだけど、それだけに主人公の他者の痛みへの想像力の欠如がより際立って感じられる描写にもなっている。
そうやって善悪や倫理という基礎的な社会性よりも自分のストレスの発散が優先されてしまう無垢で未熟な主人公が、同じように自分のためなら人の痛みを軽視する他者の存在によって傷つけられる側の立場に目覚めていく。のちに善悪の狭間で揺れる物語はファーストカットで主人公の顔に刺す光と影の揺らめきからも予感されているように感じる。

居場所の無さを抱えるベンとの繋がり

引越し先で上手く友達を作れないイーダはベンという同じように居場所の無さを抱えた男の子と仲良くなる。二人が言葉を交わすより前に水辺でミミズを踏み潰していたイーダが向こう岸にベンらしき存在を認識する場面があり、同じような不健全さを心に抱える同士であることの示唆であると同時に「世界の見えない側面」や「向こう岸の存在」といった後々の展開を二重、三重に象徴する見せ方にもなっていて上手い。
彼がイーダに初めて自身の超能力を見せる場面ではイーダがお返しに逆関節に肘がよく曲がることを見せてあげるという一見無邪気に互いの個性を肯定し合う温かな描写になっているのだけど、「身体が変な方向に曲がるのが楽しい!」というやりとりすら不穏な感じがしてしまう。

無自覚に振るわれる暴力が肯定されてしまう怖さ

その直後にそんな二人が遊びの延長で猫を酷い目に合わせる場面があるのだけど、無自覚にふるわれる暴力の怖さと、それをうかつに肯定してしまったことの後悔がイーダの目線から浮かび上がる。ベンの持つ得体の知れない力が正しくない行為と結びついてしまう予感が怖い。
結構酷いことをしていた主人公ですらベンの暴力性にはドン引きしてしまう。ベンが猫の頭を踏み潰す場面は作り手の狙い通り観客もイーダ同様に「あっ、この子怖い」と思う描写になっているのだけど、それにしても描き方に容赦が無いので映画自体にヒいてしまう観客も一定数いるだろうなと思う。しかもこの猫はまだ出会ってない重要な登場人物の飼い猫なので、小動物を殺すこと以上に取り返しのつかないことをしているように感じられる場面になっている。
主人公が暴力の怖さに気づいた時にはすでにベンは一線を越えているからこそヤバいものを目覚めさせてしまったという不穏さがより強まっているように思うし、それが確信に変わる翌日の描写はさらにおぞましい。

潜在的な願望を表現する手段としての超能力

二人が猫に酷いことをしている裏で猫の飼い主であるアナと主人公姉のアイシャの繋がりも描かれる。彼女たちだけが通じ合っていることが見せ方の工夫だけで描写されるのが面白い。彼女たちもまた孤独ゆえに特別な力を持っているように感じられるなど、超能力自体が登場人物たちの人間的背景と結びついている。
ベンにとっては憎しみ、アナ、アイシャにとっては人との繋がりというように超能力が潜在的な願望を表現しているようにも捉えられる描き方になっていて、だからこそ「力をどう使うのか」という子供の可能性の物語の中心で家族との関係性を見失っているイーダは超能力を持たない無個性な存在であり、それが終盤自分自身の大切なものを自覚することで超能力に覚醒する。
同時にそういう彼女たちの葛藤や成長、コミュニケーションや衝突は、大人たちからは何が起きているのか感知することができない"子供の世界の物語"として描かれていることも寓話としての完成度を高めているように思う。

ギョッとするほど残酷な描写の数々

怒りをコントロールできず他者を傷つけてしまうベンも自分がやってしまったことの罪悪感に苦しむのだけど、どんどん後戻りできなくなってしまうのがやるせない。家庭にも問題を抱えている彼のルサンチマンが自分のコンプレックスの対象へと逆流していくような展開がどんどん救いの無い状況を生み出していく。
単に未熟なだけの子供たちの物語でそんなに救いの無いことにならないだろうとタカを括って観ていたので、加害側にも被害側にも次々と取り返しのつかないことが起きていく血も涙もない中盤以降の展開に毎回ちゃんとギョッとしてしまった。「子供とは純粋で善の存在」というステレオタイプを木っ端微塵にしてみせるようなノワールなのだけど、登場人物の背景にあるものは現実的だからこそ寓話としてもよくできている。

エスキル・フォクト監督の確かな手腕

ちゃんとわかりやすい見せ場がいくつもあってジャンル映画的な見応えがしっかりあるのも良かった。演出的な個性が映画自体のオリジナリティにも繋がっていて、見せ方の面白さでも観れる作品だと思う。イーダが求めていた家族に回帰していくラストも見事で、脚本の人でもあるエスキル・フォクト監督本来の脚本構成力もしっかり発揮されている。
この映画の個性を「北欧映画っぽさ」という言葉で片付けていいのかわからないけれど、僕がざっくりと「北欧の映画」に期待する他の場所の映画とは違う文法や物語観、描写力はこの映画でも良さとして感じることができた。

この記事が参加している募集

#映画感想文

68,281件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?