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2023年映画感想No.21:ベネデッタ(原題『Benedetta』)※ネタバレあり

神なき世界を支配する宗教的価値観の欺瞞

ヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞。
科学の進歩によって宗教的救いの社会における役割は終わって久しい現代から信仰だけが個人の心の拠り所だった時代の物語を観るのは面白いなと思う。
搾取的で既得権益化した宗教組織の在り方があり、その中で毒をもって毒を制するがごとく信仰すら利用して(手段を選ばずに縋りついて)のし上がっていく主人公の戦いを描く。狂人的にも、合理的にも映る主人公のやり方はピカレスクロマンのようでもあるのだけど、その前提には不条理としての宗教的価値観がどこまでも絶対的なものとして横たわっており、そういうものによって否定される個人の尊厳を守る戦いを挑発的なまでに身も蓋もなく描く作品だった。
監督のバーホーベン自身もゴリゴリの無神論者だからこそ「神なんていない!宗教なんて所詮嘘っぱちだ!」という悪意たっぷりな皮肉が痛快なのだけど、「残酷な世界の中で個人が勝利する瞬間もあるんだ!」という怒りに満ちた熱いクライマックスの先にも残酷な世界は歴然と残り続けるという苦い余韻まで物語的カタルシスに浸らせない大人で現実的なバランスがお見事だった。

物語全体を象徴するベネデッタの原体験

幼少期の主人公ベネデッタが修道院に入るまでの一連の原体験的な出来事がこの映画全体に通底するベネデッタの価値観や小さな個人と大きなシステムという物語内の対立構図を示していて上手い。
信仰はベネデッタの救いである一方で宗教によって個人を支配する組織は常に不平等で非合理なものとして描かれている。ベネデッタにとって神とそれを司る(ということになっている)組織は別ものであり、キリストは信じるが修道院は信じていない。子供を預かる際の金のやりとり全てに通底する欺瞞やわざわざダウングレードした服を着させられる意味のわからなさなど個人の人生をより良くさせる機能が全く無い組織のアホくさい非合理がわかりやすく示される。
そういう不条理としての全体主義に対して孤独を感じたベネデッタが倒れてきたマリア像によって得る承認感覚が後の成り上がりのロジックに繋がる要素であると同時に彼女の性的指向を示唆する描写にもなっていて導入としてめちゃめちゃ上手い。

ベネデッタの大暴れに見る痛快なピカレスクロマン

DV夫から逃げてきたバルトロメアの登場からベネデッタの宗教観がどんどんと揺さぶられていくのだけれど、バルトロメアとの惹かれ合う感覚に動揺するベネデッタが告解のアドバイスに従っても上手くバルトロメアを遠ざけられない一方で自分の中のキリストに従うと状況に上手く対処できてしまうところが面白い。
同性愛が冒涜的とされる社会の中で自分の中のキリストに免罪されることで規律を保とうとすること自体がすでに妄想にのめり込む行為でもあるのだけど、それがどこまで意図的なのか、もしくは本当に狂ってしまったのかがわからないバランスで演出されているのがとても面白かった。ベネデッタが奇跡によって自分の立場を確立していくにつれて当初見ていた幻視映像が観客には共有されなくなるのだけど、それが彼女自身も見なくなったのか、観客に見せられなくなっただけなのかがわからないことでベネデッタの自尊心を守る行動が理性的とも本能的とも取れるバランスに見えるようになっている。
どちらにせよ人間性を否定する宗教的価値観の中で熱心な信仰によって壊れてしまった人物であり、その破綻に対して信仰的役割を何とか保とうとする結果としてどんどんとエスカレートしていく彼女の言動がある。
そりゃ無理あるだろ、となっていく一方でどこまでも人間的だからこそ応援したくなるキャラクターでもあり、社会からアイデンティティを否定され苦しむベネデッタが「いや、間違っているのはお前らの方だから」と言わんばかりにそのシステムの欺瞞や矛盾を利用してのし上がっていくのがめちゃめちゃ痛快で面白かった。

合理主義な宗教商売が信仰によって喝破されていく皮肉

腐敗する教会内部の人々はみな自分の都合で宗教的価値観を利用する浅ましい合理主義者たちなのだけど、まさにその神の教えとやらの根拠のなさこそをベネデッタに突かれるのが滑稽だし痛快だった。
民の不安を商売にして「神なんていないから権力が大事なんでしょうが」とたち振る舞う人々がベネデッタの熱心すぎる信仰ロジックを否定できずに民意と対立してしまうのが本当に皮肉だし、宗教が平等では無いという何よりの批評になっていてすごい意地悪だなと思った。

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