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2023年映画感想No.29:わたしの見ている世界が全て ※ネタバレあり

一つの家族の関係性に重ねて描かれる現代社会の在り方

ヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞。
資本主義の中で個人が分断され合理や競争から振り落とされる人たちを自己責任だと切り捨てる社会の在り方が主人公一家の関係性に重ねて描き出される。
歩み寄ることで共生するのではなく「社会」という「正しさ」の論理によって弱い立場にいる人たちの居場所が奪われ、変化を強いられる。主人公の「正しさ」は結果として兄弟たちを停滞から押し出すのだけど、挫折も葛藤も後悔も悲しみも否定してしまうような社会の前に進むスピードはとても暴力的なものに映る。果たしてそんな人生は幸せなのだろうか。

自己中心的で他者への想像力を欠いた主人公の価値観

タイトルが出て本編冒頭の一連のシーンが映画全体に通底する主人公の価値観をスマートに提示しきっていて、その見せ方の切れ味も相まってグッと引き込まれる。
心理ケアのオンラインカウンセリングサービスを提供する会社に勤める森田想演じる主人公熊野遥風がハラスメントで弱い立場の人間を追い詰めるところには、自分のように出来ない人間に対する想像力の欠如や自己への客観性の欠如が透けて見える。ひいては他者に真に寄り添うつもりなんてサラサラなく、全てはキャリアや自己実現のためでしかないんだろうという自己都合ばかりの利己的な価値観まで窺わせる。パワハラ認定されても自分を顧みることを拒否するなど、根っから傲慢さが染み付いている人物として主人公の属性をスマートに描ききっている。
ここまでで自分の正しさを押し付ける人物でありそれ自体が間違っているということを認められない人物でもあることがわかるのだけど、彼女のしたことはパワハラなのだとバッサリ切り捨てられることからすでにこの時点ではっきりと主人公の考える正しさは正しくない、と言及されているのが面白い。
この後遥風は実家に戻って同じように彼女なりの正しさを振り翳して身近な人たちの生活を蹂躙していくのだけど、それによって追い詰められ、踏みにじられる人たちの絶望や悔しさが大きくなる中で物語自体が彼女の利己的な正しさをはっきり突き放しているということがずっとある種の救いを残し続けているようにも思える。主人公とそれを見つめる観客の間にも断絶は横たわっているのだけど、だからこそその隔たりには「どのようにこの人と分かり合えるのか」という問いが常に存在しているのかもしれない。

人生の停滞を抱える兄弟たちとそれを蹂躙する"強者"の理論

母親の訃報で6年ぶりに実家に戻った遥風が家族の意思を無視して家業であるうどん屋を引き払おうと独断で話を進め始める。
仕事はできないけれど家業に思い入れがある長兄、結婚が上手くいかず出戻って店を手伝っている姉、ニートで引きこもっている次兄とみなそれぞれに人生の停滞を抱えている三人の兄弟はこの場所で共に生きることで互いを支え合っている。ままならなさに折り合いをつけながらなんとか人生を再生したいと思っているけれど、挫折や後悔を抱えて生きている彼らはこれ以上傷つかないように、今あるものを失わないように生きることで精一杯のように見える。それぞれがそれぞれのやり方で自分自身を守って暮らしているところに遥風がやってきて、起業の資金集めのために家を売ろうとすることでそれぞれが必死に保っていたバランスがガタガタに崩れていく。
資本主義の論理によってそこから取りこぼされる人たちの人生は丸ごと否定されていく。そうとしか生きられないことを酷薄な物差しで測り、変化を迫りながら自己責任を口にする。すれ違う兄弟の関係性は同席しない食事の席の描き方にも表れているのだけど、それがついに同じ釜をつつく場面では兄たちを説得した遥風の「正しさ」が破綻してしまっており、どこまでも家族の再生という光景にはならない。食事の場面一つとっても味わい深い寓意が忍ばされていて、映画的な演出の積み重ねによって小さい物語に推進力が生まれている。

人間的な兄弟たちによって否定される主人公の非人間性

長兄の恋人と話す場面で遥風は自分にとっての成功について「自分が正しいと周りに認めさせること」と表現し、それを「自分のことばっかり」と切り捨てられる。『わたしの見ている世界が全て』というタイトルに象徴されるやりとりだと思うのだけど、遥風のこの利己的で不寛容な正しさが長兄の大切な家業を金にならないと否定し、姉が乗り越えようとしている切実な痛みを無神経に踏みにじり、自立できない兄のプライドを傷つけ追い詰める。
兄弟たちやそれを取り巻く人々には遥風に理解できない様々なライフスタイルがあるのだけど、そこにある人生がちゃんと存在感から感じられることがとても良かった。言葉で説明しなくともそれぞれに人生があることがわかる。それが目の前のその人を形作っていて、人間的だからこそ豊かなのだと感じられる。
だから「その人自身」を否定することなんてできないし、否定しようとする遥風は彼らの圧倒的な人間味だけで逆に否定されているようにも思う。あえて説明しない人間を見つめ方がそのままこの映画の面白さでもあり、演出力の高さ、丁寧さが一つ一つの場面を目が離せないものにしている。

人は変われるのかという本質的な問い

使えないものは切り捨てるという彼女の考え方が取り残されていた人たちに変化を強いていく。最後に待っている兄や姉の状況の変化は一見すると雨降って地固まったようにも受け取れるけれど、僕は結局誰も幸せになれなかっただけのように感じた。
自分の正しさを証明できなかった遥風の前にはただただ彼らが失ったもの、彼らから奪ってしまったものだけが残る。孤独と空虚さの中に取り残された彼女が、ラストに自分にはなかった人と人との繋がりを前にしてなんとかその壁を、他者性を乗り越えようとする。その入り口のような、小さな小さな変化の予感が心に残る。
彼女がやったことは酷いし、兄弟たちの心に取り返しのつかない傷を残したと思うけれど、良心を信じたいという僕自身の信念に正直になるなら彼女が変われるかどうかに希望を託したいとも思う。そうじゃなきゃ世界は辛すぎるし、そうじゃないでしょう?ということを信じて生きていきたい。

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