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2023年映画感想No.35:アダマン号に乗って(原題『Sur l’Adamant』) ※ネタバレあり

被写体へのフラットな眼差し

ヒューマントラストシネマ有楽町にて鑑賞。
ドキュメンタリは「何をどう切り取るか」であるということを思い出させられるような被写体への眼差しがとても印象的な作品だった。
セーヌ川に浮かぶデイケアセンターのドキュメンタリなのだけど、映画の冒頭からデイケアセンターの活動や登場する人たちについての説明が全く無く、その場所やそこにいる人々をフラットに見つめ続ける。もはや誰が利用者で誰が職員なのかもわからないし、場面が切り替わった時にそこで何をしていて、その活動がどういう意味なのかもよくわからない。
説明が無いことで「デイケアセンターの利用者」などという被写体へのバイアスや「ワークショップの意味」という場面ごとの正解が生まれないような描かれ方になっており、その「作り手が何かをジャッジしない」目線は時に「観客が解釈できる」というわかりやすさすらも廃してありのままの「その人」を映し出す。それによって目の前に現れる剥き出しの他者への理解や対話が観客側にも投げかけられているように感じられる。
目の前の人物がどんな人なのかを見つめ、耳を傾ける。そこに浮かび上がる個性や物語に触れる。その豊かさが持続する。

絶対的存在のいない自由で雑多な世界の美しさ

デイケアセンターなので基本ヨイヨイのお年寄りがメインの被写体なのだけど、みんなめちゃめちゃキャラが立ってて映画を観ているとどんどん魅力が見えてくる。
ファーストシーンで歯のない男性が大熱唱しているのだけど、ふとカメラが違う方向に向くと全く歌に興味なさそうな人がいたりして尊重のようでも無関心のようでもある距離感がとても自然に多様な世界を映し出している。関わってもいいし、関わらなくてもいいという“その場“の切り取り方はそれを見つめる観客それぞれの受け取り方をも尊重しているようで本作の心地良い懐の深さに繋がっていると思う。
歌われている内容も一人一人自分らしく生きよう的な歌詞でどこかこの映画全体のテーマを示唆するようでもあるのだけど、それ以上に単純な人としての強烈さと、一歩引いたらその強烈な人物も大勢の中の一人になるかのように絶対的存在のいない自由で雑多な世界の在り方が心に残る。

映画的文脈から切り離される人間の魅力

会話や関係性が立ち上がる瞬間はやはり面白くて、冒頭の「じゃあ今日の議題を決めましょう」という場面から早速話が噛み合わないし議論が進まないのがおかしい。その場が何をしようとしているのか見つめる面白さと、会話がそれをわかりやすくしてくれない面白さがあり、本来の目的から脱線していったり、なんなら「本来の目的」がどんどんわからなくなっていく感じもずっと観客の観察を煽る。
当たり前だけど被写体となる人たちは観客のリテラシーや映画的満足に奉仕するために生きているわけではない。だからこそ本作の眼差しは映画的因果や映画的役割に縛られず、映画的なる文脈から逸脱していく“人間的“な人々をそのまんまで魅力的なものとして再定義してみせているように思う。
そこにいる人が関わり合いに参加することから立ち上がる個性や面白さがあり、そうやって物事が不確定に進むこと自体が他者と共に生きるこの世界の面白さであり豊かさであると見つめるようでもある。

完璧ではない世界の愛おしさ

映画として「ここ、面白いことが起きる場面です」という編集がされていないのも良かった。ある程度場面内の時間を観客が共有した上で時折楽しい瞬間が見つかるような描かれ方になっていて、それもまた「面白さ」という恣意的な脚色を回避しているような手触りがある。
一方で見終わるとちゃんとたくさんの面白い場面が心に残る作品でもあるのだけど、それは全て“人間“の魅力からくるものであり、やはり色んな人がいて色んな事が起きる世界を豊かなものとして肯定しているように感じられる。
自分の描いた絵について解説するワークショップで自分の感情が綺麗な色で表現できたと言うおばあさんに「その絵は女性器に見える」となんの他意もなく評するおばあさんが現れたり、ゴッホの生まれ変わりを自称するお爺さんが自作の歌を披露してくれたり(これが絶妙に良い)、ロゴTのロゴを切りながら「スパイダーマンのSだけど今日からは僕の名前の頭文字のSなんだ」という男性が切っているのがスーパーマンのロゴだったり、心の「ちょっと待てぃ!!」ボタンを押したくなる場面がいくつもある。
何度か出てくる何やらレジのお金を数えているような場面なんかはどれも一向に金額が合わないので見ていて段々「全員何かを根本的に間違ってるんじゃないか?」という気持ちになってくるのがおかしい。でもこの映画自体はそれを正しいこととも間違っていることとも描かず、その「なんか違うなあ」という噛み合わなさだけが提示され続けるのが映画としてはとても変なのだけど、だからこそ面白かった。

語弊のある言い方になるけれど僕はこの映画の「完璧ではなさ」が愛おしい。完璧ではなさが完璧に表現されているとすら思う。そしてそれがあることできっと世界は今より生きやすくなる。
映画が示してくれる多様な可能性にどうしようもなく救われる瞬間があるし、こういう映画を観るとさらに映画が好きになってしまう。とても愛おしい作品だった。

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