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2023年映画感想No.30:AIR/エア(原題『Air』) ※ネタバレあり

マイケル・ジョーダン、エアジョーダンが更新したカルチャーのスタンダード

ワーナー・ブラザース内幸町試写室にて鑑賞。filmarksに感謝。
2023年現在もマイケル・ジョーダンはいまだにスポーツ史に残る偉大なアスリートの筆頭的存在だし、エアジョーダンはバスケをしない多くの人にも履かれるファッションカルチャーの中心的アイテムであり続けている。バスケットボールという競技の枠を超えて大きな影響を発揮していることは説明不要なくらいにアイコニックな存在であり、もはや何が凄いのかはよく知らないけどなんか凄いことはみんな知っている、というレベルで認知されていて、そのこと自体がその凄さを証明していると言ってもいい。
ジョーダンやエアジョーダンの影響下にあるカルチャーに触れていない人間はおそらくいないと思うし、そのくらいそれらの存在によって更新された「当たり前」の中に僕たちの生きる現在のポップカルチャーはある。それが当たり前の今となってはそれ以前がどのような世界だったのかを想像することすら難しいのだけど、だからこそ今改めて観るといかにエアジョーダンが今のスタンダードに繋がっているのかが当時の状況とのカルチャーギャップとともに楽しめる内容になっていると思う。
何かが証明された後から「ほら言っただろ」と後出しジャンケンすることは簡単なのだけど、決して「世界を変える存在」は誰かに見つかる前から「誰がどう見てもそれが世界を変えると思えるもの」だったわけではない。未来に生きる僕たちは最終的にジョーダンがナイキと契約してエアジョーダンが生まれることを知っているわけだけど、だからこそ目の前の絶望的な状況とそれ逆転していくある種のコンゲームもの的な口八丁手八丁が楽しめるし、それが絶望的であればあるほど1400万を超える可能性の中から唯一エアジョーダンが存在する世界線に向かっていくようなギリギリの駆け引きと奇跡的なプロセスに感動できる。
そのどれか一つでも違っていたら「エアジョーダンの存在しない未来」になっていたと思うとやっぱり凄い話だし、ビジネスの進め方としてあまりにも一か八かなプロセスによって良くも悪くも「二度はできない」特別な出来事であることが際立ってもいるように思う。

未来から見る84年当時のバッシュ業界勢力図

エアジョーダン以前のナイキやバッシュ業界勢力図について1984年当時のNBA選手やドラフト選手を通じて説明する冒頭部がNBAファンとしては大変楽しい。引き合いに出される選手が後々どうなったのかを未来の我々は知っているからこそ、それによっていかに当時のナイキのバスケ部門に力がなかったを説明している。NBAリテラシーが高い方がより解像度高く楽しめるパートだと思うけれど、割と説明不要な名前ばかりが出てくるので出来る限りわかりやすく説明しようという意図も感じられる。
当時の業界シェアの勢力図としてアディダスはRUN DMC、コンバースはマジック・ジョンソンとラリー・バードの影響で上がり目にある一方でナイキの看板契約選手がモーゼス・マローンという時点で一発でナイキが遅れをとってるのが伝わる描写になっている。モーゼス・マローンもNBAのレジェンドではあるけれど、マジックやRUN DMCと比べてどちらが今もなお語られているかは明白だし、それでなくても1984年には明らかに勢いが違ったであろうことは歴史が物語っている。80年台のNBAはバードのセルティックスとマジックのレイカーズが覇権を争った時代であり(80年台のNBAファイナルには必ずこの2チームのどちらかが進出していて、この物語の前年の83-84シーズン、翌年の84-85シーズンはレイカーズとセルティックスが頂点を争っている)、それぞれを代表するスターであるマジックとバードがどちらもコンバースを履いているということがそのままシューズ業界の力関係にも表れている。80年台初頭が最も支配的だったモーゼス・マローンは実際82-83シーズンの優勝を最後に彼らに取って代わられた存在であり、だからこそ象徴的な構図が示されている。
RUN DMCに関しても1984年を示すコラージュ映像が映画の冒頭にあることで時代を象徴するカルチャーアイコンであったことが映画を観ているだけでも飲み込みやすい描き方になっている。

84年ドラフト指名選手を活かした演出

続く1984年指名選手から誰と契約するのかの会議においても挙げられる選手の名前でナイキバスケ部門の「ダメだこりゃ」感がより際立つ演出になっていて面白い。
チャールズ・バークレーは素行が悪いからダメ、ジョン・ストックトンはローカル大学出身で地味、メルビン・ターピンはドラフト6位だから契約しよう、という会議の流れなのだけど、メルビン・ターピンはNBAに6シーズンしか在籍しなかったのに対してバークレーとストックトンは後にバスケ殿堂入りを果たす選手である。ターピンの特徴を聞かれた会議の重役が「パスが上手い」とトンチンカンな解釈を垂れて主人公ソニーに全否定されるのだけど、それで言うとストックトンはNBAの歴代最多アシスト記録を更新する選手なので、全てわかっている未来人からするといかに見る目のない提案かが逆説的にわかる演出になっている。
また史上最大の豊作ドラフトとされる1984年ドラフトにはメルビン・ターピン以上の失敗として、ジョーダンより早く指名されたのに大成しなかったことで史上最悪のドラフト指名と今なお悪名高いドラフト2位のサム・ブーイがいて、ドラフト選手のラインナップ一つとっても「一歩間違えたら大失敗」という運命の明暗が際立つ名前が並んでいる。
ちなみにメルビン・ターピンは映画の終盤にもギャグ的に引用されるのだけど、本人は2010年に拳銃自殺で亡くなっているので死人に口なしを良いことにイジられ放題なのが中々可哀想だなと思う。

vsジョーダン母デロリス戦

25万ドルで3選手と契約なんてチマチマやっててもジリ貧だからジョーダンにフルベットしよう!と方針に向かうことになるのだけど、肝心のジョーダン本人が「ナイキだけは嫌だ」と言っていて割と「じゃあ無理じゃね?」という絶望的な状況が続くのもおかしい。「ナイキ以外ならなんでもいい」とまで言われててなんでそんなに嫌われてるんだという感じなのだけど、交渉すらさせてもらえないという圧倒的不利なところから話がスタートする。
代理人からは「公式なオファーがあれば考えてやる」と言われ、CEOのフィル・ナイトからは「そんな一か八かなオファーは出せない」と言われ、にっちもさっちもいかない主人公ソニーが全部すっ飛ばして直接本人たちから交渉の席を設ける合意を取っちゃえとジョーダンの母親に会いに行くのが中々無茶苦茶で楽しい。モーゼス・マローンのくだりでアフリカンアメリカン家庭の母権イズムについての言及があるからこそ親に会うことが重大イベントであることがきちんと演出されてもいる。
ジョーダン母のデロリスに対してソニーが思いを伝える場面では顔面のドアップになることで真っ直ぐな熱量が演出されていて熱い。コンバースやアディダスがいかにジョーダンを「大勢の中の一人」として扱うかを交渉の流れを言い当てることで説明するくだりもロジカルで面白いし、それに対してナイキにはジョーダンしかいない、ジョーダンを信じているという主張の切実さや説得力が映像的にもしっかり感じられる映し方になっている。

シューズ開発描写の面白さ

直接交渉に向けてエアジョーダンを具体的に開発していく場面も面白い。エアジョーダンのデザインがいかに当時のNBAにおいて型破りかをとてもわかりやすく描いているし、そうやって慣例をぶち破ったものが今やみなに親しまれるスタンダードになっていることが翻って感動的に感じられる。
シューズの開発担当者ピーターがめちゃめちゃボンクラで「最高のシューズを作れ」という無理難題に目をキラキラさせて取り掛かる様子もおかしい。「靴というものが履かれてから8000年近く経つが劇的に進化をしたのは一度だけ、左右の形を変えた時だけだ」というセリフなど、「新しい靴を作る」という発注がいかに無茶振りであるかを明らかに靴のことしか考えていない人間からしか出てこない豆知識で端的に説明してみせるなど演出的にも気が利いている。
同時に明らかにスタンドプレー気味なソニーに対して徹夜で開発に付き合う上司のロブが「君はリスクを軽く見ている」と釘を刺すところもしっかり挟み込まれるのが大人なバランス。彼一人の責任では済まないことをやっているという自覚を促す会話があることでクライマックスにソニーが打ちのめされる敗北感の重みがグッと増しているし、だからこそその後デロリスから持ちかけられる契約内容に対して描かれる葛藤にもより切実な重みがある。
売り上げに対してインセンティブをつけることは契約の概念を根本から覆すことになるのだけど、選手本人がブランド化することでシグニチャーシューズ全盛になっていくその後のバッシュ開発の形態を作ったこともエアジョーダンの偉大な功績の一つだということがしっかりと描かれている。

満を持して"マイケル・ジョーダン"を映し出すクライマックスの演出

またこのチーム全員で契約を取るぞ!というチームものとしても連帯感の描き込みが丁寧で青春映画的な楽しさがある。交渉の段取りを作戦会議する場面が丁寧に描かれるのだけど、交渉本番では全然思惑通りの空気にならないところとか観ているこっちまでハラハラしてしまう。毎試合罰金払う話を初めて聞いたCEOのフィル・ナイトのリアクションとかちゃんとしたたかな笑いどころもあって楽しいし、全員絶妙に白々しくて頼りないのが絶対失敗できない交渉を客観的に観ている観客のハラハラをより強めている。
小手先の演出が見透かされて微妙な空気になってしまったところでソニーがストレートな説得に切り替えるのだけど、ここで再び彼の真っ直ぐな熱量を表すような顔面のアップに重なる形でこの後に待つ現実のジョーダンのキャリアを実際の映像のモンタージュで映し出す演出が、ソニーだけが信じてきた信念の正しさを逆説するようで感動的だった。後に誰もが知ることになるジョーダンの偉大さな姿を誰も見つけていない時から信じていたソニーの言葉がまだ何者でも無い84年のジョーダン本人を後押しするような場面になっていて、この瞬間がなければ自分の知っているジョーダンはいなかったかもしれないと思うと切実にグッときてしまった。
また映画の構成的にも不在の中心としてここに至るまで一度もジョーダンという存在を描かなかったことが満を辞してジョーダン本人を見せる演出の感動を際立てている。ナイキのプレゼンによって初めてみなの知っているマイケル・ジョーダンという存在が立ち上がるような演出であり、ナイキの物語とジョーダンの物語が映画的な演出によって繋がるのが本当に感動的だった。
ソニー一人では成し遂げられなかったことが集大成的なプレゼンに詰まっている様子も感動的で、互いが互いをフォローするように交渉の席が成功に進んでいく描き方になっているのも良かった。同じアフリカンアメリカンとしてコミュニケーションの潤滑油になるクリス・タッカー演じるハワードや、エアジョーダンの名付け親でもあるピーター、資本を出すフィル、そして交渉の一番大事なところでソニーはロブの言葉を引用する。

この契約を境に全てが変わった後の世界を僕たちは生きていて、やはり全てが今に繋がっているのだと思うととても感動的だった。
バッシュはファッションになり、何も知らない僕もジョーダンブランドのバッシュでバスケをしてきた。その景色は一人の開拓者の信念から始まった歴史の上にあることを知ることができてよかった。

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