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2023年映画感想No.17:小さき麦の花(原題『隠入塵煙 Return to Dust』)※ネタバレあり

社会の中の小さな個人としての主人公二人

ヒューマントラストシネマ有楽町にて鑑賞。
それぞれの家族の厄介者として見捨てられるように見合い結婚させられた寡黙な農家の四男ヨウティエと障碍を持つ女性クイインが社会と隔絶された田舎の荒れ地で自給自足の生活を始める。
主人公たちの模索する持続的な生活は常に社会によって奪われ、壊される。彼らの築き上げたものを見つめる目線は劇中には無く、映画の観客だけが二人だけの世界があることを見守るように物語が進んでいく。二人を映したカットから画角が180度変わってカメラの後ろ側にいた沢山の人々が映る、というカット構成が多用されるのだけど、それだけで二人が自分たちの生きる小さな世界の外側に広がる社会の無関心や不寛容と対峙している構図が浮かび上がって感じられる。

農業と共に育まれる関係性の豊かな描き込み

農業自体が斜陽産業として非生産的なものと切り捨てられつつある過渡期を描いた物語なのだけど、奪われるために育てられる農作物や酪農動物たちに自分たちの生き方を重ねそれらと共に生きる関係性を育むことで自分たちの生活を立て直す主人公だからこそ農業が象徴的設定として二重三重の意味を持つのが素晴らしかった。静かな物語ながら彼らの居場所が確かなものになっていく感覚が再開拓描写のディテール一つ一つの豊かさによって鮮やかに立ち上がっていく。
また、冒頭からヨウティエは飼っているロバに自分の立場を重ねているように演出されている。暗いロバ舎の中で作業するヨウティエは家族の中に居場所がなく、出来損ないと罵倒されるロバを連れ立って家を離れる。そしてその優しさこそがヨウティエの人間的な素晴らしさであり、優しさを分け与える精神によってクイインとの救いのような関係性が育まれていく。
ヨウティエとクイインの繊細な親愛関係を言葉ではなく農作業の中で表現するところも上品で素晴らしかった。ヨウティエがつい男らしさを主張してしまう場面があるのだけど、その反省として彼自身を象徴するロバにクイインを乗せてあげる場面など、説明がないからこそエモーショナルな見せ場になっている。

酷薄な社会の在り方

一方で社会は常に二人のそういう生き方を搾取する。血を抜くことも、住まいを奪うことも、全て数字に変換し買い叩く。数字のために彼らの尊厳を奪い、数字だけで彼らの人生を否定する。その忍び寄る資本主義的論理が常に彼らの順調な生活に暗い予感を差し込んでいる。
自動車が現れるだけで暴力的な予感がするし、金は彼らの生活を豊かにしない。価値観を異にする人たちとは一貫して膝を突き合わせたり卓を囲んだりしない演出をされていることがそこに生きる世界の違いがあることを浮かび上がらせる。
いくら社会に翻弄されてもほとんど自己主張をしない二人なのでどんどん漬け込まれて利用されてしまうのが見ていて苦しいのだけど、そういう社会に対する批判は観ている観客に託し、彼ら自身はあくまで自分たちの人生を懸命に生きているかのように描くバランスが彼らの生き方を作品自体も尊重しているように思える。

現実に問いかけるラストの余韻

Return to Dust(土に還る)という原題の通り、ラストにはまるで何も無かったかのように彼らの営みの痕跡は更地にされてしまう。
無常で無情な余韻に無力感を覚えてもしまうけれど、だからこそ社会の片隅で誰からも気づかれなかった彼らの豊かな日々を描き出す物語の役割も強く感じさせるラストだった。

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