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2023年映画感想No.36:聖地には蜘蛛が巣を張る(原題『Holy Spider』) ※ネタバレあり

社会のボトムに生きる人の地を這うような視点

ヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞。アリ・アッバシ監督新作。
冒頭、子供がいながら売春で生計を立てるセックスワーカーの困窮的な背景を身も蓋もなく描く。搾取され、差別され、ドラッグに溺れてボトムから抜け出せない。地を這うような視点からそうとしか生きられない弱者を見つめ、その弱い立場が晒される暴力の怖さ、おぞましさへと繋いでいく。
社会からこぼれ落ちてしまう存在がそれ故にさらに残酷な目に遭う社会の構造を『ホーリー・スパイダー』というタイトルと共に蜘蛛の巣上に広がる街の明かりでメタファーとして浮かび上がらせる演出が切れ味抜群。特定個人の悪意ではなく社会全体の抱える病理であることがタイトルまでの一連の構成だけで鮮やかに浮かび上がる。クライムサスペンスの掴みとしても半端じゃなく禍々しくてゾクゾクした。

男性主義社会の抱える加害性

通称「スパイダーキラー」という殺人犯による女性連続殺人の取材のために聖地マシュハドにやってきたジャーナリストのラヒミの視点で犯人に迫っていくミステリーかと思いきや、犯人である男性側の存在も早くから明らかにされて探偵側と犯人側の二つの視点を平行して描く構成で展開していく。
女性記者としてラヒミが直面するミソジニーの数々はそもそもから女性を虐げる社会構造としてセックスワーカーを生み出す背景と直結したものであり、そうやって社会問題の原因である男性たちがそこから零れ落ちていく人々の抱える事情を自分たちとは関係がない問題として社会から切り離し、臭い物に蓋をするように見て見ぬふりしている。優位性を享受する人々の酷薄さが社会の抱える根深い加害性として映し出され、男たちに都合の良い"正しさ"によって性差別から来る犯罪が黙認される全体の気持ち悪い空気が作り出されていく。
追求するラヒミが警察のお偉いさんから脅される場面の感じ悪さや、夜道を歩いていて身の危険を感じる場面の恐ろしさなどどんどんとあからさまに正義が否定されていくのが本当に怖いし気持ちが悪い。被害者遺族もセックスワーカーである女性を否定するのだけど、一方で幼い子が残されたその家庭には父親が不在で困窮だけが残り続ける。男性性が破綻した社会で犠牲の皺寄せは女性にばかり向かっていくということが随所に表れている。

社会に免罪される男性性

その象徴が犯人側の人物像であり、犯人のサイードはまさに「男らしさ」のコンプレックスによって暴力による歪んだ自己承認の追求を加速させていく。何物にもなれない卑小な男が弱者を攻撃することで社会からの承認感覚を獲得していく背景にはそういう彼を助長する女性差別的な宗教的価値観があり、そうやって社会によって男性性の暴力が免罪され、それによってエスカレートしていく犯罪行為がより社会の歪んだ男性的価値観をエンパワメントしていくのが本当に胸糞悪い。
割と早い段階から犯罪の手口が杜撰すぎてバレるのも時間の問題に映るのだけど、それだけに中々好転せず引き延ばされる事件の解決がサスペンスとして気味悪くもある。本来生まれなくてもいい犠牲が出続けているような手触りもあり、全てがイスラム社会の歪みとして常に映画のノワール的な手触りを強めているように感じる。

描いてきた要素が極に達するクライマックス

ラヒミが対面し続けるミソジニーとサイードのマチズモコンプレックスという裏表にある力学が囮捜査によってついに具体的に交わるのだけど、ここで女性が感じるよるべなさと恐怖、男性の身も蓋もないみっともなさが共にピークに達するような描き方になっているのも演出として凄まじい。作戦内容がリスキーで怖いし、何かが上手くいっている感じが全くしないのが観ていてハラハラする。
なんでラヒミがそこまでしなければいけないのかずっと疑問だし、一方で「娼婦は見れば分かる」などとのたまうサイードの理屈がものの見事に破綻していくのは観ていて恥ずかしいくらいだった。

罪を顧みることすら拒否する差別的価値観の凶悪さ

何よりそうして捕まったサイードを巡る顛末の描き方が本当に凶悪で、ここがあることで映画としてより鋭く、ゆえに素晴らしいものになっていると思う。
ここまで建前上は婉曲的な形で擁護されて来たサイードの罪がここにきてストレートに社会から称賛される。「彼は悪くない」どころか「良いことをした」と表現される。それによってサイードは自らを英雄視するようになり、その歪んだ男性的承認はそれを見ていた息子世代へと継承されていく。男性の男性による男性のための男性主義が強固になる価値観の動きが身も蓋もなく描き出される展開で、本当に全てが狂っているとしか言いようがない。
序盤で唯一まともなことを言っている裁判官が罪状を宣告する場面にも解決の予感は一切なく、醜悪な罪を犯した人間が正当化される凶悪さとそれによって罪が罪と認められない救いのなさがあり「バカは死ななければ治らない」という状態を社会全体が作り出しているというのが底なしの不条理として映し出される。
既得権益と化した男性主義の恩恵を受けてきた男たちが自分たちの罪を認めるわけにはいかずに自分たちが作り出した価値観に自閉するわけだけど、自分たちの過ちと向き合えないみっともなさ、それを擁護するためにさらなる差別的価値観で自分の立場を塗り固める醜悪さがあり、それが「そういうものだ」として浸透する瞬間まで徹底して構造から批判する凄まじい鋭さのラストだった。

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