けそ

30歳でうつ病・休職を経験。仕事は営業→広告ディレクター・ライター→事業企画・営業企画…

けそ

30歳でうつ病・休職を経験。仕事は営業→広告ディレクター・ライター→事業企画・営業企画→Webマーケ→CS(イマココ)。ジャズや深夜ラジオや旅行が好き。うつ病との奮闘、仕事で経験したことや学んだこと、日常などを綴っていこうと思います。

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  • うつ病体験記

    HSP&うつ病体験記のエッセイをまとめてます。週一くらいで更新、20話くらい予定です。

最近の記事

うつ病体験記28:うつ病になってプラスになったこと

僕が大切にしている言葉の一つに「すべてに無駄はない、無駄にしない」がある。 失敗しても糧にする。 「転んでも何かをつかんで起き上がる。」 これは母が好きな言葉で、失敗したときによく教えてくれる。 これはとても共感する。 経験したことはどこかで活きると思っている。 うつ病という経験も、人格に影響を与える大きな経験だった。 病というマイナス面ばかりではなく、プラスに活きているなと思うことを紹介する。 人への思いやりが強まったもともと人から「優しい」と言われるタイプではあっ

    • うつ病体験記27:休職中の不安まとめ

      休職期間中に不安になったことや気になったことなどのうち代表的なものを記録する。 不安や気になったこと1:お金休職期間中はずっとお金について不安を抱いていた。 生活が成り立つのか? 今後もし寛解しなかったら生きていけるのか? という不安だ。 そりゃそうだ、労働収入がなくなるのだから。 とはいえ、貯金がなかったわけじゃない。 もともと支出も少ない方だ。 計算上、1年くらいは働かなくても生きていけるだけはあった。 でも、残高が減っていくことにはただただ恐怖があった。 もし

      • うつ病体験記26:苦手な感じの人の特徴

        嬉しかった他人の対応もあれば、苦手だな〜今は嫌だな〜と思う人もいる。 嫌だな〜と思ってもその人が悪い人なのではなく、自分にとって嫌な特徴が出てる人だ。 その中から、けっこううつ病の人はこういうタイプ苦手だろうなという特徴をまとめてみる。 苦手な特徴1:怒鳴るマンHSPなので、怒鳴る人は苦手だ。 そのベクトルが自分に向いていなくてもだ。 脈絡のない大きな音は辛いが、さらに怒りという感情が乗っているとなおさら怖さを感じる。 そもそもその怒りは怒鳴る必要があるのか?と思う。

        • うつ病体験記25:嬉しかった他人の対応

          嬉しかったこと1:特別扱いしない「うつ病の人」に慣れていない人に、「自分うつ病なんですよね」と言ったら、どんな反応をするだろうか? 憐れな目を向けるだろうか? 腫れ物に触るようだろうか? 「え!?」と慌てるだろうか? それとも、「大変だったねぇ、休むことも大事だぜ〜」と思うだろうか? 自分がされて嬉しかったことの1つ目は、後者の対応だ。 特別扱いせず、憐れまれず。 寄り添いすぎることもなく、見放すこともなく。 親も仲の良い友達も、あとから出会った妻も、一人の人間として

        うつ病体験記28:うつ病になってプラスになったこと

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        • うつ病体験記
          29本

        記事

          うつ病体験記24:寛解のためにやったこと意識したこと

          寛解したい、とは常々思っていたが、実際に行動に移すことができるのはちょっとずつ元気になってきてからだ。 そのときまでにした行動や意識をまとめておく。 やったこと1:セロトニンを出す生活食事、睡眠、運動を大切にした。 というか、幸せホルモンであるセロトニンを出すことに力をいれた。 特に睡眠については、休職中はとにかく寝まくった。 光や音などの刺激に敏感になっていたので、きついときはベッドに潜って遮った。 この世に存在しないものだと意識を閉ざした。 でも、比較的元気なとき

          うつ病体験記24:寛解のためにやったこと意識したこと

          うつ病体験記23:やってしまった後悔まとめ

          うつ病を自覚して病院に行き始めた2019年夏〜秋頃から2度の休職、転職、彼女との交際などを経て、「こうしておけばよかった」という後悔と、寛解までに至れた理由をまとめておく。 ※後悔についてはタラレバの話。 後悔1:休職を早めにしておけばよかった2019年秋頃に病院に通い始めたが、この時点ですぐに休職しておけばよかった。 病気が長引かずに済んだかもしれない。 よく、早めに対応すれば3〜6ヶ月で寛解となり、再発したら寛解する可能性が当初の50%、25%と下がっていくと言われ

          うつ病体験記23:やってしまった後悔まとめ

          うつ病体験記22:転職先の働き方で救われたことと気圧

          2021年3月、晴れて社会復帰を果たした。 結構長く続く老舗のIT企業だ。 社員数もそれなりにいて、中堅〜大手くらいの規模。 そこではマーケティング部に配属された。 マーケティング職自体は未経験だが、前職で企画職をやっており、その中で少しかじっていた。 Webマーケティングで大事な点などを勉強したり、マーケティング支援会社のウェビナーなどに参加して、わりと頑張って勉強した。 というのも、焦っていたのだ。 キャリアにおいて大事な30歳前後。 ここでつまづいてしまったの

          うつ病体験記22:転職先の働き方で救われたことと気圧

          うつ病体験記21:こんなに話せないんだ、自分となる日々

          転職に向けて応募活動を始めたわけだが、とても苦労した。 そもそも前提として、主治医は転職活動についてどう思っていたのか。 意見としては、このような感じだった。 ・すぐに働けるとは思えない ・まずは体も心も頭も休息することが重要だ ・でも無職になることへの不安はあると思う ・その不安でさらに不調になったら本末転倒だ ・だから転職活動することで気晴らしや安心につながるならしてもよい 実際に、無職となり、無収入になってしまうことへの不安感や抵抗感がとてもすごく強かった。 妻

          うつ病体験記21:こんなに話せないんだ、自分となる日々

          うつ病体験記20:休職、再び

          妻(当時彼女)の花ちゃん的な後押しと、10月8日の起き上がれなくなった事件をきっかけに、再び休職に踏み出すことにした。 10月中頃には労務の方に相談をし、10月下旬にかけて有給取得。 そして11月からは休職となった。 休職できたことに対する安堵で、10月ほどの落ち込みはなくなった。 その一方で、別の焦りが募った。 休職できる期限は1月21日。 当時働いていた会社では、休職できる上限期間は6ヶ月だった。 1年半の中で取得できる期間が6ヶ月である。 前回の休職から1年半あ

          うつ病体験記20:休職、再び

          うつ病体験記19:なーんとーかなーるなーる

          ここで、私のうつとの闘病をとても支えてくれた妻について記録しておきたい。 妻がいなければ今なお寛解していなかった可能性すらあるからだ。 妻とのことを書き、感謝を留める。 ※少しのろけぎみかもしれないです。 奇跡の出会い以前ちらっと書いたが、私は2019年の春先から身体中がかゆくなった。 背中はゴツゴツと蕁麻疹のようなものができ、かゆみと、かきすぎによる痛みで苦しんでいた。 さらに、2019年のGW明けには、働きたくないからか謎の高熱にうなされた。 インフルエンザなどでも

          うつ病体験記19:なーんとーかなーるなーる

          うつ病体験記18:自分を責めて再びうつへ

          職場に復職すればまた慣れてくるだろうーー そう思っていたが、思考停止状態からなかなか抜け出せなかった。 そういう自分を責め、またうつ状態へと落ち込んでいく。 調子の良い時(一般的に普通な時)もあるが、基本的には思考停止だ。 上司や同僚から、「辛かったら早めにアラート出してね」と言われていたが、どうやってアラートを出せばいいのかがわからない。 在宅勤務なのでなおさら。 邪魔しちゃわないか、気を使わせないかと考えてしまう。 逃げ方や逃げ道がわからず、自分の気持ちをコントロー

          うつ病体験記18:自分を責めて再びうつへ

          うつ病体験記17:仕事と遊びの感じ方

          復職後も、しばらく浮き沈みが続いていた。 朝は調子が悪く、起きるのが辛い。 もともと朝起きるのは苦手なタイプではあるのだが、そういう辛さではない。 朝起きると、胸のあたりがずんと重く、喉が詰まる感覚を覚える。 日中の集中力もないことを自覚していた。 そんな自分を騙しつつ、頭を使う仕事をしていた。 それがとてもしんどかった。 答えが決まっているものややり方が決まっているものをやるのではなく、正解がなく仮説を組み立てながら最適解を導き出すのがもともとやっていた仕事だ。 合

          うつ病体験記17:仕事と遊びの感じ方

          うつ病体験記16:復帰(ただしまだ地獄の出入り口)

          2020年のGWが明けた。 3ヶ月半の休職を経て、いよいよ職場へ復帰した。 もちろん完治したわけでもない。 どちらかというと、休職している自分を、プライドが許さなかったのだと思う。 今思えば、つまらないプライドである。 ちゃんと寛解してから復帰すればいいのに。 そんなだから、復帰してからまた苦しい地獄の日々となった。 何も生み出せていない気がして不安。 与えられた仕事をこなせるか不安。 周囲の期待に応えられるか不安。 仕事に対する恐怖感が拭えず、自己肯定感0&自己卑下

          うつ病体験記16:復帰(ただしまだ地獄の出入り口)

          うつ病体験記15:メンタルが低空飛行でき始めた

          4月に職場復帰する目標であったが、医師からのOKがでなかったため、もう1ヶ月休職することにした。 この頃世間はピリピリしていた。 新型コロナウイルスの影響で緊急事態宣言が発令されたのだ。 2月・3月は実家と一人暮らしの家を行き来していたが、自分が感染して親にうつしたら嫌なので、4月は1人で過ごした。 極力塞ぎ込まないよう、散歩をしたり読書をしたり、溜まっていた週刊少年ジャンプを読んだり、映画やテレビを見て、淡々と過ぎていく時間を横目にやり過ごした。 緊急事態宣言中であ

          うつ病体験記15:メンタルが低空飛行でき始めた

          うつ病体験記14:死にたいのではなく楽になりたいのだ

          新型コロナウイルスが蔓延し、だんだんと外出自粛が要請されてきた2020年3月。 外出どころかベッドから起き上がることも困難だった僕は、どん底にいたと思う。 虚無感に苛まれ、寝たら心臓が止まってしまえばいいと願い続けた。 何のために生きているのか。答えのないその問いに、毎日向かい合っていた。 人は幸せになるために生まれてきたのだ。 苦しい中、この言葉を自分に言い聞かせ続けた。 何回心の中で唱えたかわからない。 この頃の僕は気持ちはどん底からちょっと浮上したあたりを行った

          うつ病体験記14:死にたいのではなく楽になりたいのだ

          うつ病体験記13:楽しいことが楽しくなくなった

          休職2ヶ月目の2020年2月。 この時期の一番のストレスは、思考停止に対してだった。 何かを考えようとすると、テレビの砂嵐になったように頭の中がジャミジャミする。 文章を読もうと思っても、字を目で追うだけで頭に入ってこないのだ。 特にショックだったのは、ジャズバンドの練習に行った時だ。 ※僕はジャズの社会人バンドでトランペットを吹いている。 読めていた譜面が読めない。 読めないと音を出すのが怖い。 出せないとストレスだ。 もうトランペット歴は10年以上だ。 だから、普

          うつ病体験記13:楽しいことが楽しくなくなった