うつ病体験記29:自分がうつ病になった本当の意味

「すべてに無駄はない。無駄にしない。」
前回書いたこの好きな言葉は、後に強く強く、実感する。

自分が苦しんだ宿命は、使命へと転換していくことになる。
人間は意味を見出したくなる動物だって、何かで読んだことがある。

自分がうつ病を経験した意味ーー
「文章を書くことが好きな自分」とかけ合わせて考えるなら、同じようにうつ病で苦しんでいる人や、その人のそばにいる人たちに向けてこうして体験記を記すことで寄り添い、共感し、一緒に乗り越えていけるようにすることだと思った。


でも、もっと身近なところにうつを経験した意味があった。


励まし、寛解へと導いてくれた妻が、うつ病になったのだ。


僕が寛解して新しい職場で働き始めてから半年ほど経ったころ。
2021年夏、妻が原因不明の体調不良になった。
もともと三半規管が弱く、めまいを起こしやすい体質だったらしいが、輪をかけておかしいらしい。

仕事も休みがちになった。
忙しさなのか、暑さからなのか。
新婚4ヶ月目。とても心配した。

2021年9月17日、その原因っぽいものが判明した。
妊娠していたのだった。

18日には産婦人科で、エコー写真も撮れたようだった。
嬉しさと不安が半分。

原因不明じゃなくてよかった。
体調に変化のない自分は自覚を持つことが難しいが、たくさん妄想して父親としての自覚を芽生えさせつつも、いいパパになれるかという不安があった。

いや、それよりも、変わらず妻の体調は心配だ。
とにかく、母子ともに健康であることを強く祈った。

同時にこのころ、妻の誕生日が近づいていたので、プレゼントを考えた。
生理や妊娠計測的な記録ができるスマートウォッチを買った。
体調が悪そうな妻が、まずは健康管理できることを祈りつつ。
そのスマートウォッチでは、ストレスレベルや心拍数の変動などからHPのようなものを算出してくれる。

9月26日、ぼくは激しい腰痛に襲われた。
妻の体調が悪そうだったので、妻じゃなくて自分に辛さが移ればいいのにって思っていたら本当にそうなってしまった(笑)。

10月に入ると、妻の体調はより悪化。
出勤ができず、職場に対して罪悪感を抱くように。
職場はおめでたいことだと言ってくれているようだが、本人は気が引けている。

勤務できない自分の体力のなさを呪っていた。
妊娠でも病気でも、罪悪感を持つことなく、協力し会える文化になればいいのにと思った。

つわりの辛さとか心の苦しみは人によって変わるから、そういう辛さもスマートウォッチのHPのように数値化できたらいいのに。そしたら休みやすい。

あまりに体調が悪く、10月6日には長期休みに入ることにしてもらえた。
良い職場、良い同僚、良い先生たちに恵まれてて本当によかったと感謝した。


そして運命の10月9日がやってきた。

家に帰ると放心状態な妻。
流産している可能性があるとのことだった。

なんと言葉をつむげばよいのか、わからなかった。
話を聞いて、一緒に泣くしかできなかった。

このころから、妻の人生から色が消えたと思う。

10月下旬ごろには子どもがいなくなったことを実感しはじめた。
つわりがだんだん治まっていくのと引き換えに、喪失感が募っていたようだった。

流産を、自分の体のせいにして、産んであげられなかった自分を責めている。

子どもに会いたい、もう妊娠できないかもしれない、小さい頃からの夢だったのに・・・と。

医学的には、流産は胎児が染色体をうまく作れなかったとかそういうことらしいが、そんなこと頭でわかっても心が追いつかないだろう。

さらに、流産のための手術を受けても、残留物が子宮から出ていないようだった。

流産すらまともにできないのかーー
そうやって自分を責め続けていた。

僕自身も、どんな言葉をかければよいかわからなかった。
一緒にいれるときにはそばにいて、一人になりたそうなときはそっとしておく。
そうすることしかできなかった。

何もできない、体の実感も持てない男の自分。
とても不甲斐なさを覚え、悔しかった。


そして11月6日。
メモ帳に苦しみを吐き出していた妻は、最後のページに簡易的な遺書を書き、そのメモ帳と錆びついて切れ味が悪いカッターを抱いて泣いていた。

「あいさつ書いたから」と言葉にならない言葉をなんとか口にして泣いた。
そして泣きつかれて寝た。

そのすきに「あいさつ」を読んだ。

本当に怖かった。
焦って、怖くて、声出して泣いた。

自分を寛解に導いてくれた大恩ある妻がいなくなってしまったらーー
一通り泣いて、冷静さを取り戻し、カッターを隠した。

すぐに冷静になれたのは、自分もうつ病で希死念慮に苛まれたからだ。

なにごともなかった。
気づかなかった。
そうやって、余計な心労をかけないようにそっとした。

一晩明けて、妻は無事落ち着いた。


しかしこれで終わらなかった。
11月11日、卵巣に腫瘍があると診断された。

良性か悪性か、腫れが引くか手術か。
とりあえず4週間様子を見ることになった。

妻はそれを病院で一人で受け止め、その日の夜話してくれた。
二人でたくさん泣いた。

そして
「あなたはハズレ引いちゃったね、元気な子どもを産める人と結婚できてたらよかったのにね」
と言った。

これまでも僕がどれだけ妻の存在に救われたか、たくさん感謝を伝えてきた。
でも、ありのままの振る舞いであったため、救った自覚がない妻は、自分のことを傷つける。

そうして妻はうつ病になった。

ちなみに11月、妻は一度保育園に職場復帰した。

しかし、目の前には乳児。
否が応でも流産を思い出す。

妊婦の方や親子連れを街中で見ることさえ辛かったであろうこの時期だ。
2、3日出勤しても、すぐに帰ってきて休んだ。

園児からも保護者からも信頼されている妻。
休んだら保護者の目も気になるだろうが、僕としてもとにかく休んでほしかった。

そして、心療内科へ行き、休職することになった。
適応障害からの抑うつ状態であろうとのこと。

それから3ヶ月(下書き書いている時点)。
自分がされて嬉しかったことややってよかったことを、できるだけ実践した。

自分の体験を生かすつもりで接した。
最初はとことん好きなだけ眠ってもらう。
本人の気の向くまま、話したり話さなかったり。

妻は一人で散歩に出て、長時間帰らないことも多い。
無事帰宅することを祈るしかできない。

ハラハラしながらも見守った。
簡単なことでも、だらしなく見えることも、やりたくないできないなら無理させない。

セロトニンとオキシトシンを出すことも意識した。
腸活レシピを作ったり、笑う機会を作ったり。

そうしていくうちに、早くも12月には、少しずつ回復の兆しが見えてきた。

休職期間も、焦らないようにと2022年3月まで取ってもらった。
お金も心配ないからと伝え続けた。


こうして考えると、自分がうつ病を経験した理由は、このときのためだったと思えてならない。

妻がカッターを手にしたときもそう。
希死念慮が高まると衝動的に行動に移ってしまうことがある。
原因は違っても、暗闇すぎて死にたくなる気持ちはわかる。
妻は会うことができなかった子どもに会いたいという衝動だった。

とりあえず、今後死にたくなったら、1日だけ待ってみようと約束をした。
1日経ったら、冷静になって衝動がおさまるだろうから、1日だけ待つ。
そう約束した。

他にも、何をしたらよさそうか、何がだめそうか。
人によって変わることではあるが、方向性は似ている。

うつ病を見守る側としては、ハラハラと心配だらけだ。
でも辛抱強く見守って、焦っていそうなときには諌めて、安心して休める環境を作る。

自分がしてもらったことを客観的に見ることができて感謝していたから、自分の体験を活かすことができた。

だから、当時は苦しかったけど、うつ病になっておいてよかった。
今ならそう思う。

うつ病になってなかったら、妻の苦しみが理解できず、オロオロと何をすればいいのかわからなかっただろう。
イライラしてしまっていたかもしれない。

死のうとしていた妻に、もしかしたら追い打ちをかけてしまって本当にそうなっていたかもしれないのだ。


ちなみに妻が休職中のある日、妻の母が電話で「今まで妻ちゃんは一生懸命頑張ってきたから、ダラダラ過ごせていることに安心したよ、嬉しいよ」と話したらしい。

すると妻は
「お母さんが喜ぶためにもっとダラダラしなくっちゃ!ああ、なんて親孝行なんでしょう〜〜〜どんどん親孝行しよう!だらららーん」
とか言い始めた。

アホだなぁと思いつつも、こうやって考えられる妻に、ぼくも安心した。

まだまだ調子の波があるし、遊びに行ったら次の1週間すごく疲れている。
突然悲しくなって泣き出すこともある。
少しずつ、ゆっくりゆっくり、焦らずに一緒に乗り越えていこう。

ちなみに、2022年1月に婦人科へ行き、腫瘍の経過を見てもらった。
なんと無事に腫れが引いていた!!
このことには本当に救われた。

体調もだが、心が救われた。
よかった、よかった!本当によかった!!!

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