うつ病から私を取り戻す

「うつ病」から、私を取り戻す。

私に「名前」が付いた半年

この春、家族を亡くした。
それをきっかけに、自分の中で今まで持ちこたえてきたはずの糸がぶちっと切れてしまった。いや、糸が切れるというよりそこに糸があったということも嘘のように糸は粉々になって風に吹かれてしまって、そして跡形もなく無くなったというのがきっと正しい。
そして同時にその変化に、その前から私が糸で支えていたもの達に「名前」がついた。

「抑うつ障害」

「名前」は徐々に私の方にやってきた。
最初は症状という形で身体に。

嘔吐、頭痛、慢性的な倦怠感、悪夢、コミュニケーション不安、感覚過敏、食欲不振。

でもまだ心は追いつかなくて、人前では上手くやり過ごし、家に帰ってから地獄を見る、そんな生活が続いた。
それでも、「名前」は確実に私に近づいてきて、しまいには人前でも上手く過ごせない日々が訪れるようになる。

それから「名前」はどんどん私の心に近づいてきた。

「名前」と「私」の隙間

「全然鬱っぽくないよね」
「うつ病でも、元気なんだね」
「病気のかなこと、どう接したらいいかわからない」
「その症状は、うつ病に典型的なものですね」

うつ病の診断をもらってから、私は「うつ病の人」としての反応をもらうことが多くなった。

精神的な病気は、定義が難しい。
症状の判断や改善に向けた治療には個人差があり、素人には簡単に判断できない。
そのため当事者は、担当医からの情報、またはインターネットで見つけた情報を元に行動せざるを得ない。
それは、ブラックボックスに手を突っ込むような感覚だ。
受け取れるのは、アウトプットでしかない。

また、当事者自身が上手くコントロールし、語ることができないものを非当事者が正確に理解していることは、とても稀なケースだ。
非当事者が当事者と関わる際には、根拠の危うい情報やイメージを頼りにしていることが多い。
それは、なんだかわからない像に自分を埋め込まれるような、そんな感覚。

私が感じている自分の心と体に対する実感値と、周りから語られる「うつ病の人」の隙間はどんどん大きくなった。
病名が二転三転し、薬が変わり、その度に合わない薬に体調を壊し、全く良くならない体と心の不調。
伝わらない自分の状態に、私はいつしか人前で唇を噛むことが多くなった。
症状の改善のためにやれることをやっているはずなのに、全く見えない出口。
焦りと不安が、時間とともに膨らんでいく。

「かなこ、また唇噛んでるよ」

唇を噛む、その癖を指摘されることが多くなった。
無意識に噛む唇が、気がつけば血で真っ赤になっていたこともある。
声が出ない夢を繰り返し見ては自分の叫び声で目覚める、そんな日々が続いた。

「名前」に置き去りにされた、私

ある日、先輩がご飯に誘ってくださった。
復職に向けての話などを聞いた後、先輩はこう口にした。

「かなこちゃんは今、どんな状態だといい状態?」

私はその質問に、答えられなかった。
答えられないどころか、そんな問いが世界に存在していたことさえ、忘れていたのだ。
私は文字通り、開いた口が塞がらなかった。
そのときの私には、「うつ病の人」として改善のために望ましい生活をすることが何よりも大事だった。
だから「自分がどんな状態だと調子がいいか」なんて問いは生まれようがなかった。
それは私にとって、衝撃的な事実だった。
決して難しい問いではなかったはずだ。
自分の感覚に正直に生きていたのなら。

私にとっていい状態って、一体何?

「うつ病」から、私を取り戻す

先輩の問いが頭から離れなかった頃、ある本と出会った。
北海道の浦賀にある精神障害等をかかえた当事者方の地域活動拠点、べてるの家の向谷地さんが書かれた『安心して絶望できる人生』

少し前にAmazonで頼んでいたものが、タイミングを見計らったようにポストに届いていた。

「私の困りごと」として、症状を語ること。

それらの言葉から、暫く目が離せなかった。
私は今までうつ病の改善のために確かに行動をしていた。
でもそれらの行為は全て、主語が私、ではなく「うつ病の人」だった。

うつ病の人は、薬を飲む必要がある。
うつ病の人は、セロトニンの生成に必要な食材を摂取する必要がある。
うつ病の人は、適度に他者と関わる必要がある。

勿論、それらの行為は必要だ。
しかし、そこに自分の意思は介在しない

私は、今の状況を改善したいと思っていると感じていた。
でも私がしていたのは今困っていることを改善することではなくて、うつ病を治すことだった。それは似ているようで、全く違う。
私はそうして、自分自身の心と体の声をきちんと聞くことを怠っていたのではないだろうか。

そんな時にcotreeのカウンセリングと出会った。
カウンセリングのことは、ほとんど知らなかった。ただ私を突き動かしたのは、一向に良くならない自分の状態をなんとかするためなら、何でもやってみようという気持ちだった。
初回のカウンセリングは45分。カウンセラーの方の初めの質問は、

山崎さんが、今お困りのことはなんですか?

そこで私は「私の困りごと」として、自分自身を語ることができた。

私は今、こういうことに困っている。
私は今、こういうことがしたい。

カウンセリングを受けてみて分かったのは、カウンセリングは病気と自分の隙間を埋めていくための一つの手段だということ。
持っている情報の格差による受け身の医療に理没していく中で、患者としてではなく、私として自分の方向性を考えることができる時間。

勿論、カウンセラーの方と一度話をしたからといって、すぐに症状が軽くなるわけではない。
私は今でも薬を飲み続ける必要があるし、主治医の先生の指示に従って生活を調整している。うつ病の治療において、通院して薬物治療を受けることはやはり重要だ。
でも、ある日突然やってきた「うつ病」という名前ではなく、私を主語に話すことができること、そこに私が私として人生を生きていくことの希望が、確かにあった。
それは私が、「うつ病」から私を取り戻す瞬間だ。

病気だろうがそうじゃなかろうが、自分は自分じゃないか、と思う方もいるだろう。現に、私も今まではそう思っていた。
でも、現在の医療現場において一般的な治す・治される構図の中に自分がはまってしまった時、自分の手ではどうにもできない知識と技術の差の中で生活を管理され、徐々に主体性が失われていく。そんなことが起こりうるのかもしれない。

この話は、綺麗な回復物語ではない。
現にまだ私は発病前と同じように生活できるわけではないし、またいつか症状が悪化するかもしれない怖さとともに生活をしている。
それでも、私が半年近くこの病気とともにあって、感じた感情や変化を記しておきたい。
私はまだうつ病とともにあるけれど、同時に私を主語に語りうるのだから。


▼このnoteはcotree advent noteのマガジンに参加させていただいています!
優しさに包まれたい時に是非、なマガジンです〜。

▼表紙使用の写真は全てNicon new fm2(フィルムカメラ)で撮影しています。(写真のお仕事依頼はもしあれば飛び上がって喜びます、ます!)



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