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ベネディクト・アンドリューズ『セバーグ~素顔の彼女~』セバーグを使った劣化版"善き人のためのソナタ"

映画は火刑台の上で焼かれるセバーグの姿から始まる。初出演初主演を勝ち取った『聖女ジャンヌ・ダーク』である。実際に火を付けて殺しかけるというオットー・プレミンジャーの鬼畜パワハラ演出で有名なこのシーンは、彼女はそれしか覚えていないと後年語るほど印象的でありながら、映画はあまりウケなかった。プレミンジャーは次の『悲しみよこんにちは』でも彼女を主演として採用するが、こちらも散々な結果となり、彼女のキャリアは終わったも同然だったが、偶然にも後者の撮影時、後の夫となるフランソワ・モレイユ(François Moreuil)と出会い、彼の紹介でジャン=リュック・ゴダール『勝手にしやがれ』に出演したことで、世界的名声を勝ち取った。それ以降、欧州と故国アメリカを往来しながら、映画に出演し続けるが、あまりヒット作には恵まれなかった。これがセバーグの女優人生前半のざっくり過ぎなまとめである。

映画はそんな映画女優人生なんかどうでもいいかのように、いきなりハキム・ジャマルと出会い、彼とその活動にのめり込んでいく。駆け足で巡る出会いと運動援助と別れの物語は、くだらない"バランス"を考えて追加されたであろう良心的で繊細なFBI捜査官によって度々邪魔される。盗聴を続ける彼の苦悩が前面に押し出されることで、セバーグと全然関係のないところで劣化版『善き人のためのソナタ』が完成してしまっているのだ。そして、100分という限られた時間で彼の苦悩や上官/新妻との関係に時間を割くために、駆け足だったセバーグの伝記は更に駆け足になり、重要な要素を点で並べただけの薄っぺらい映画が出来上がってしまった。例えば、"もう合わないほうが良い"とジャマルから言われて映画から退場したのに唐突にジャマルが再登場したり、パンサーを支持し続けていると言いながらパラノイア描写に時間を割くせいでセバーグの信念が全く見えてこなかったり。全体的な印象として、主人公を良心に目覚める捜査官にするために、"可哀相な"セバーグのエピソードを見繕ったという感じで、そんなくだらない政治主張のための出汁に使われたと思うと浮かばれないなあと。

本作品のクライマックスとなるのはFBIの工作、セバーグのストレスの頂点となる娘の死産事件とその記者会見である。ほぼ描かれていないが、世間は好奇の目で彼女を見つめ、世界中があることないことを彼女に投げつけたのは想像に難くない。そして、やはりここに"現代的な文脈"としてポスト真実時代のフェイクニュースなり情報工作が人を殺す云々という意味が授けられる。

そして、それを神妙な面持ちで聴くFBI連中
(お前らがやったんだろ)。

この一連の会見シーンに映画のくだらなさというか説教臭さが全部詰まっている。手垢まみれの"良いお話"をセバーグを使ってまで語り直す意味はどこにあったのだろうか。完全なる悪役にして適当に描いても全然問題ないであろうFBIに"実は良いやつもいました"と言い訳臭く善人を入れる意味はどこにあったのだろうか。尽きない嫌悪感はラストで爆発する。

★以下、結末のネタバレを含む

組織の欺瞞に耐えられなくなった青年捜査官が機密ファイルをパリまで持ち出してセバーグに見せるという偽善的で気味の悪いラスト。追い詰められるセバーグに対して追い詰める側の主役が歴史の表舞台に正義のヒーローのように登場するのもゾワゾワするが、まるでそれが正しいことであるかのように居直っていて余計に気持ち悪い。イジメっ子が改心したことをイジメられっ子に認めてもらいたいってか?許されてぇってか?精一杯大人な対応をしたセバーグが痛々しい限りだ。

直近のクリステン・スチュワート作品は本作品、『チャーリーズ・エンジェル』『Underwater』と惨敗続きなので、そろそろ落ち着いた作品に出て欲しいなぁと。あと、長髪のクリステンにも久しぶりに会いたい。

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・作品データ

原題:Seberg
上映時間:102分
監督:Benedict Andrews
公開:2019年12月13日(アメリカ)

・評価:40点

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