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Tilman Singer『Luz』現在・近過去・大過去の入り交じる悪夢譚

圧倒的大傑作。傷だらけの若い女性タクシードライバーが誰も居ない深夜の警察署に入ってくる。彼女は受付に座る男を一瞥し、そのままヨロヨロと歩きながら扉横にある自販機で飲み物を買う。ドイツ人監督ティルマン・ジンガーの卒業制作作品であり初長編作でもある本作品は2018年のベルリン映画祭でプレミア上映されて以降、世界中の映画祭を巡った。低予算のため場所はバーと警察署のオフィスの二箇所に限定され、登場するのも頑張って数えても10人に満たない。そんな作品が世界中を駆け巡り、配給まで付いて世界公開までされたのだ。尤も、一番驚いたのはジンガーだろう。

物語は冒頭で警察署に駆け込んだチリ人の女性ルース(Luz)がなんの事故に合ったのかを解明しようとする物語が主軸にありながら、それを検査する精神科医の物語が別視点で挿入される。彼は警察署に呼ばれる前にバーで若い女性ノラに出会って酒を飲みまくっていた。この女性こそルースに事故を起こさせた彼女の旧友であり悪魔だったのだ。そして、ノラに乗り移られた医師はルースの事故を催眠療法で復元しようとし、自身が乗り移られたことでルースの大過去まで同じ画面に乗せる。画面には現在(検査)、近過去(事故の記憶)、大過去(ルースとノラの学生時代)が一同に会し、抜群のカメラワークでそれらの記憶の往来する。

・現在の視点は担当の女刑事とスペイン語通訳の目線で語られ、事故の現場を会議室で再現するルースの様子を見ている。会話の内容は全てルースが話しており、それを少し遅れて通訳がドイツ語に翻訳する。
・近過去の視点はルースの目線で語られ、会議室の椅子を車の席に見立てたセットの中で、後部座席に座ったノラと会話する。映像にはバーで死んだはずのノラが登場し、ミラーで互いを視認して会話する他、煙草を吸ったり車を猛スピードで走らせたりする様を描いている。とはいえ催眠療法なので、ノラの発言もしっかりルースが喋っている。視点の基軸は現在にいる刑事であり我々であることをキチンと明示しているのだ。挿話として煙に巻かないしっかりとした演出だ。
・それら二つの視点を往来する人物としてノラに乗っ取られた医師が登場し、催眠療法のオペレーターとしてルースの記憶に介入して深層意識から様々な答えを引き出す。彼は同時にノラであるため気付けば後部座席に座ってノラに代わっていたり、ノラとルースの間にあった過去の確執を表面化させたりすることで映画に大過去の要素ももたらす。実にグロテスクなこれらの作業を経て、現在・近過去・大過去は複雑に入り乱れながら融合し、一つの画面に結実する。
ドラマ『ウエストワールド』ならこれで一人のアンドロイドが完成しそうだが、本作品でもルースという人間を創造することに成功している。

本作品は音響設計も非常に興味深い。というのも催眠療法のセッション中は現在と近過去を往来するのだが、視点がルースにあるときは車が走っている音が聞こえるのだ。翻って、刑事や通訳が画面に入ると静寂になる。環境音によって視点人物の変更を示しているのだ。14年来の親友という編曲担当ヘニング・ハインの仕事も素晴らしい。どの場面にも一定のノイズサウンドのような環境音が鳴っており、不安な気分にさせる。見てはいけないものが写り込んでいるかのような居心地の悪さがあるのだ。"音"は言語にも派生する。本作品では刑事と医師の話すドイツ語に加え、ルースとノラの会話としてスペイン語が登場する。現在・近過去・大過去の三層構造は、ノラによって語られ、ルースによって語られた物語を、通訳によって再び語り直すことでも示されている。そして、乗り移られた医師もスペイン語を話し始め、物語は新たな展開を迎える。

本作品のもう一つの主軸はエクソシズムである。ルースがチリでカトリック系の学校にいた頃、彼女がおそらく好きだったであろう女生徒マルガリータが妊娠したという話を受けて(本当かどうかは闇の中)、ルースは堕胎のために悪魔を呼び出してマルガリータを殺してしまい、放校処分となった。この時、儀式に呼ばれたのが同級生だったノラなのだ。悪魔はノラの形を取って登場し、医師となるが、最終的にマルガリータに戻る。つまり、現在(医師)、近過去=事故(ノラ)、大過去(マルガリータ)という悪魔の仮面の変遷も三層構造となっているのだ。そして、ここに叶わなかったレズビアン的な憧れ(ルース→マルガリータ?ルース→ノラ?)が加わることで、大過去で果たすことの出来なかった思いが近過去を突き抜けて現在で叶うことで時間を圧縮することにも成功している。

個人的に印象的だったのはバーのシーン。医師が初めてノラに絡まれるとこやそれ以降もノラの口にフォーカスを当てた切り返しが多く描かれており、『鮮血と絶叫のメロディ / 引き裂かれた夜』へのオマージュを感じる。これもドイツに突然生まれ、たった一作で映画界を去ったゲラルド・カーゲルの歴史的傑作だった。それ以外にも、フィルム調の色味などはやはり80年代のホラー映画、特にルチオ・フルチやジョン・カーペンターの諸作品を念頭に置いているらしい。ジンガーがカーゲルのように一作品で終わらないことを祈りながら、次なる活躍を期待しよう。

・作品データ

原題:Luz
上映時間:70分
監督:Tilman Singer
公開:2019年3月21日(ドイツ)

・評価:100点

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